『準優勝』の世界から帰ってくるまで半日走り続け、さすがに涙が出たけれど、どうにかしようと思えばどうにかなるみたい。これが火事場の馬鹿力ってやつなのか、それとも誰かが僕にそうさせたのか、とにかくこれが最初の1回目。 つまり来た時と反対方向に同じ速度で走って橋を渡ればよかったんだけど、答えに行き着くまでにすっかり日が暮れていたから、くたくたになってやっとの思いで部室に帰ったのにサボりを疑われてしまった。どこを探しても僕が見つからなかったらしい。 新しいシューズの調子は良かったですよ、と誤魔化すつもりで主張して、とにかく疲れていたから早々に帰宅してぐっすり眠った。


 翌日から、河川敷を訪れる度にあの不思議な時間にどうしても惹きつけられて我慢が効かなくなってしまった。あの瞬間を求めて走り回ってみる。 ついには行ったり来たりできるまでになってしまう。この新しいシューズ、この橋、それから一定の速度が必要みたいだった。漫画や小説みたいだ。そして不思議なパワーを得ても日常生活って案外変わらないみたいだ。
 我ながらすっごい適応力。なんでこんなに頑張れたのか。どう考えても頭がおかしくなったか、何かの罠にかかっているか、とにかくフツーじゃない状況なのに。 ・・・それはどうしても辿り着きたい場所があったから。僕はなんて諦めが悪いんだろう。危険なことしてるかもなのに、どうして走るのを止められないんだろう。

 ルーレットを何度も回す行為に似ていた。盤上には姿を変えた稲妻町がたくさん存在する。平行世界、という言葉と意味を読んだときにやっと腑に落ちた。
 選ばれなかった未来、あり得たかもしれない選択。隣の世界で選ばれなかったものがこの世界で選ばれる。選択肢の分だけ、可能性の分だけ世界が存在する。


 辿り着きたかった。もしかするとあるかもしれないから。風丸さんが陸上部に残留する可能性。競技大会で優勝する可能性。新記録を出す可能性。 たとえ僕自身がその世界に参加できないとしても、あの素晴らしいスターティングを、疾風みたいな走行を、美しいフォームを、水色が眩しくてたまらない姿を、ぶっちぎりでゴールするシーンを見ることができたら!
 このシューズはきっとそんな幻を見せてくれようとしている、その為に僕の元に来たのかもしれない。そんな風に思い込んだ僕は、得体のしれない靴を履き必死になって同じところを行きつ戻りつ駆けていた。




「・・・どうして?」

 どんなに走ってもどんなに走ってもどんなにどんなにどんなに走っても、風丸さんがピッチに立ち続けているのは、どうして?





「かーぜまーるさん」

 学ラン姿の“風丸さん”に学校指定ジャージを身に着けた金髪の少年がそっと後ろから歩み寄る。 風丸はゆっくりと振り返り、声の主を最初から分かっていたかのように微笑してみせた。

「宮坂。お疲れ、今帰りなのか?」
「そうですよ、もうすぐ試験ですからね。部活は短縮です」
「あぁ、そうだったな」

 貼り付けたような笑みがやや悲しみを帯びて剥がれかける。宮坂は慌てて「無神経でした、ごめんなさい!」と叫んだ。

「風丸さん、その、やっぱり風丸さんは、みなさんを待つ・・・んですよね」

 フットボールフロンティアで雷門イレブンは惨敗を喫した上に多数の怪我人を出し、サッカー部は活動停止に陥っていた。風丸をはじめ数人は何事もなく登校できているが、中には入院している部員もいた。 相手校も試合で使用した違法薬物に身体を蝕まれて実質崩壊、中学サッカー界は未曽有の危機に見舞われていた。全国報道で管理体制の甘さやら部活動の闇やらを突かれ、日本の少年サッカー分野は完全にマヒしていた。

「待つさ。俺だけ陸上部に戻るワケにはいかない。あいつらが帰ってくる場所を守ってやらなきゃ」

 俯いた宮坂は唇を一瞬だけ固く噛んで、勢いよく顔を上げて笑って見せた。風丸さんはかっこいいなぁ。




(あ、すごい、僕までサッカーしてる)

 河川敷を見下ろす。橋の上からだと目立ってしまうので遠くの木陰を選んで。川を挟んだ距離だから大分遠いけど、自分の姿は見間違えない。あと結構声でかいかも、僕。 風丸さーん!いきますよー!僕じゃない僕が風丸さんを呼ぶ。一緒に部活してる。ちょっと悔しい。風丸さんへのナイスパス。風丸さんも次の人へ。ボールが次々選手の間を移動する。
 もし左じゃなくて右の人に蹴ったら。もしパスが5秒遅かったら。 同じコースのパス回しは生まれない。ひとつ違うだけで何通りもの道筋が確立される。ここは違う。ここではないどこか。僕は帰ろう。僕はボールを蹴らない。サッカーはしない。