「風丸さん風丸さん」

 人のベッドにうつ伏せで寝っころがって。携帯電話の画面と真剣に睨めっこしていた宮坂が、目線をこちらに向けないまま俺を呼ぶ。
 宮坂は俺を呼ぶとき、なんでか2回繰り返して言うことが多い。以前それを指摘したが、本人は無自覚だった。 早く気付いてほしくて急いでるんですねえ、なんて他人事みたいに笑っていたっけ。

「なんだ?」

 ベッドから少し離れた勉強机の椅子から、一応宮坂に視線を投げているのだけれど、後輩はこちらに注意を向けようともしない。 膝を曲げた脚をぶらぶらと空中に泳がせてだらけている。そういえばコイツ、ふくらはぎ前より締まってきたなあ、なんてふと気が付く。
 俺の返事から少し時間をおいて、宮坂がやっとこちらに顔を向けた。

「平行世界って知ってますか?」
「平行世界?ああ、なんかSF映画とかで出てくるあれか、パラレルワールドなんていう」
「わあ、よく知ってますね。僕いま携帯で調べてたんですよ」

 オレンジ色の宮坂の携帯電話は、俺の知り合いの携帯の中で一番派手な色で、一番色が剥げていない。 宮坂はモノを大切にする。そういう面に気付いたのは親密に付き合うようになって、宮坂をよく観察するようになったからだった。

「なんでそんなこと調べてたんだ?」
「社会の先生が授業中話を脱線させて、平行世界の話してたんです。歴史小説の話題から話が止まらなくなっちゃったんですよ」
「へえ・・・」

 パタンとオレンジを閉じて、どっこいしょと宮坂はベッドから体を持ち上げ縁に座った。 初めて家に来たとき緊張して床に正座していた奴と、とても同一人物とは思えないくつろぎっぷりだ。 俺はと言うと、正座こそしないものの未だに宮坂の家は緊張する。だからこそ会う時は自分の家に宮坂を招くのだけれど。

「僕が風丸さんとお付き合いしてない平行世界もあるのかもしれないですね」
「い、いや、うん・・・それは無いと思う、たぶん」
「えへ、風丸さん照れてるんですか」
「からかうなよ」

 座った姿勢からまた寝転がる。寝ながらくすくすと笑う、宮坂はよく動くしよく笑う。静かで動かない平行世界の宮坂なんているもんなら、会ってみたいかもしれない。

「あははは、風丸さんが僕を置いてサッカー部に転部しちゃう世界もあるかもですね」
「どうだろうな、確かに円堂の力にはなりたかったけど、やっぱり俺は陸上じゃないとな」
「そうですよ。風丸さんは陸上部のエースですからねー!」
「なんだそれ、ハングリーさが足りないな」

 相変わらずの部活三昧。お互い脚が良い色に日焼けしてきた。俺は夏に焼けても冬には元通りになってしまうけれど、宮坂は逆に冬でも落ちないらしい。今から楽しみだ。

「今年は宮坂がいるから、去年よりいけるかな、夏大会」
「ちょっと風丸さん、それプレッシャーかけてませんか?」
「頑張れよ、1年生エース」

 そりゃあ頑張りますよー。と言って宮坂は今度は膝を抱えて眠るみたいにベッドの上で丸まった。






 家じゅうの電気がばちんと一斉に点灯したかのように、周囲の景色が一瞬で様相を変えた。僕の部屋。僕のベッド。僕の、夢。
 何が起こったのかゆっくりと理解して、現実が僕にじわりと染み込んできた瞬間、それを押し返すかのように涙がぼたぼたと流れて止まらなくなった。
 僕が願う全てのことが夢になって膨らんで弾けて消えた。半年以上前の記憶で出来た夢じゃないか。風丸さんが陸上部にずっと居る世界。風丸さんが僕のこと大好きでいてくれる世界。風丸さんとふたりきりの世界。ああ。



 たくさんの世界を見すぎて、走り疲れて、分からなくなってきていた。僕が元々いた場所では何があったんだっけ。どれがあっちでどれがこっちだったっけ。夢だっけ現実だっけ。僕はどこで何をしていればいいんだっけ。
 ・・・やっぱり、もうあのシューズを履くのは止めよう。平行世界の夢を見に行くのは止めよう。


 だけど、あといちどだけ。お願い。夢が本当になりますように。


(もしも辿り着けたとして、僕はどうするんだろう、それで終わりにできるのかな)