晩冬、手を振る春を泣く




「寒いよ」

広い背中に投げかけた声、届いていなかったのだろうか。
膝までたくしあげられた冬服のズボンをそれでも濡らしながら、彼は砂浜を離れてゆく。海を進んでゆく。

「ねぇ、ダビデ」

空は曇りで、波は煩くて、僕の声なんかはかき消される。ねぇ、冬の海は寒いよ、冷たいよ?

「ダビデ」
「剣太郎、」

空は曇りで、波は煩くて、彼の声はとてもか細かった。それでも僕の耳にはちゃんと届いた。

「バネさんがすき、俺」

ん?

「僕も好きだよ?バネさん」

しかめっ面で振り返り、僕を見て、しかしすぐに表情を緩めて、
「剣太郎にはわかんない」

のたまいける。


ざば、ざば、さざめく波に負けない位の音を立て、ダビデが陸に帰って来た。

「なんだそれー」

呟きながらタオルを放る。
受け取ってありがとうを言って、砂浜に腰を下ろした彼はぽつん、水滴、涙、ひとりごと。

「もう少しで、春だ」

ふたりきりの海岸。風はまだ冷たかったけど、そうだ。もうすぐ春が来る。