シガレットを消して




 背の高い草の向こう、23時の暗い海の手前、焚火がひっそりと燃えていた。彼は傍に腰を下ろし、木串に刺したきのみを焼いていた。傍らのアシレーヌ、ライチュウ、ブースターらが寛ぎながらそれぞれの食事をとっている。おかわりを待っている。
 柔らかい地面に串を立て、チーゴの実の表面がとろけていくのを待つ。モモンの実は崩れる前のしっとりしたところで取らないと。
 両手がやっと空いたハウは、リュックサックの内ポケットから手帳ときのみ茶の缶を取り出す。薄いページにスッとナイフを差し込んで手帳から1ページを奪う。茶葉少々を薄紙に載せる。それを器用にくるくると細長く包んでほどけないようぎゅっと潰した。

 モモンの実がいい具合だったので、ハウは工作物を口に咥えて木串の方へ手を戻したが、
「んー!んむむむ!」
 すぐに唇から左手にそれを移動させ、人差し指と中指で挟んだ。

「ライチュウ!きみの好きなモモンがいい感じだよー」

 声を掛けられるとスイっと彼は飛んできて、モモンを嬉しそうに受け取った。

「あとはー・・・ポケ豆かなー。おれはマラサダー」

 ひょいっと左手を焚火に近づける。先端に火を付ける。ぱたぱたと仰いでから反対側を改めて咥える。くすぶって煙をあげている。すうっと思い切り息を吸う。吐くと煙が出ていく。吸う。吐く。焚火と違う煙が大気に溶けていく。きのみに夢中なポケモンたちの傍で彼は黙り込む。


 背後で草むらが揺れた。こうして野営しているとたまに野生のポケモンがおこぼれをもらいに来る。いつもそれを見越して少し多めに食事を用意していた。くるりと首だけ振り向くと、顔見知りの人間が居た。ハウはシガレットを焚火に放り込んだ。




「たくさんあるからさー、グラジオも食べてよ。みんなで食べる方がおいしーからねー」

 小さく礼を告げ、グラジオもパートナーと一緒に火を囲んで座った。

「いつも野宿なのか」
「そうだねー。おれはこっちの方が好きなんだよねー。いろんなポケモンが遊びに来てくれるしさ」

 今日はグラジオだったけどねー。付け足された言葉にグラジオは苦笑した。

「アシレーヌはホテルのシャワー浴びるのが好きなんだけどねー。でも毎日だと俺のお小遣いなくなっちゃうからさー」
「それだけか?」
「えー?」

 唇の端をとんとんと叩いて示しながらグラジオが唐突に言った。

「見たぞ」
「見たなー!」

 ハウは反射的におどけながらも向けられた視線を真っすぐに受け止めた。

「気晴らしのつもりか?自傷行為か?いずれにせよ褒められたことじゃないがな」

 非難するでも呆れたわけでもない、なんでもない色の瞳だった。無理やり押し込めた。なんでもないとグラジオは自分に言い聞かせた。

「褒められなくていいんだよー。でも怒られるのもイヤだし、焚火の傍でこっそりするしかないんだよねー、気晴らし」

 困ったようにハウが笑う。

「くだらないお説教をするつもりなんてない。ただ・・・」
「ただ?」

 グラジオはふいと視線を外した。ただ・・・。なんでもなくなかった。
「・・・いや、いい」
「もー!グラジオ、そういうところだよー!?」




 もう行くと言うグラジオを無理やり引き留めて、同じテントで二人は夜を明かすことに決めた。こんなの持ち歩いてるのかよ、とテントについて聞かれると、ハウはレンタルだよと返して笑った。グラジオも今度やれば。フッ、考えておくよ。なんでもない会話が、家を満たした。
 波の音がした。砕ける音が。流れていく音が。それから他はすべて静まり返る午前1時。枕は1つ。丸めたタオルケットでもう1つ。暗闇に慣れた目がやっとお互いを捕まえる。

「おれねー」

 おやすみを交わして間もないというのに、波に紛れてこっそり語りかけた。

「おれが良い子でないと傷つく人がいるってこと、知ってるよー」

ため息のように微かな声がふわりと浮上する。グラジオは頭を相手の方に向け、無言で続きを促す。

「みんながおれを信じて良い子だって言ってくれるけどー、だけどそれがおれの全てじゃないんだってことー。悪い子のおれがあげてる狼煙なんだよなー。これって逃げなのかなー」

 相槌の代わりにフーっと長い溜息をついた。参ったな。そう言った。

「眠くってよくわからなくなってきたー。なんでおれ、グラジオにはこーいうこと話しちゃうんだろうねー。うん、忘れてー」
「特別に」

 這い寄って距離を詰める。んー?と仰向けのまま頭を向けるハウの顎を白くて骨っぽい指がそっと掴んだ。

「もっと良い気晴らしを教えてやるよ」

 返事も待たずに押し付ける。くちびるに、くちびるを。波の砕ける音。それだけ。溺れる前に浮上する。

「・・・悪い子の気分になれたか?ハウ」

呆気に取られてかたくなったハウの、まるい頬を指でつつく。誰の顔が紅いかなんてまるでわかりやしない夜。

「グ、グラジオの方がよっぽどウップン溜まってるっ、おれなんかにこんなことしてー・・・気晴らしじゃなくて気まぐれでしょー?!」

 横たえていた身体を飛び起こすその勢いのまままくし立てるが、フッと笑う侵略者の反応に今度は頬を膨らませる。またかっこつけてるー!

「気まぐれなんかじゃない。これがオレの全てだ。受け取んな」
「もー!だから言葉が少なすぎて分かんないよー!」

 目線がカチリと噛み合う。

「オレの居ないところで・・・一人だけで傷つくな。お前の良い所も悪い所もオレが見ていてやるから」
 ぽつりと落下した言葉をハウは慌ててキャッチした。
「さっき言わなかったことだよ・・・もう寝な」

 ぷいっと背を向けて寝ころんだグラジオを、今度はハウが揺さぶる番だった。

「えっ、えー!?グラジオ、おれのこと好きなのーー?!」

 テントを破きかねないハイパーボイスをグラジオはかわして目を閉じた。しばらくすると「煙に巻かれたよー」とひとりごとが聞こえたが、噴出さないようになんとか耐えた。
 必死に念じた“そうだよ”はどうしても言葉にできなくて、結局波と寝息の音だけになって、それから、やがて海は凪いでいた。