カラーフルランド
「変化に苦しむことなんてないよ」 促されるがまま座った椅子はとても座り心地が良くて、こだわりをもって生きているアーティさんらしい家具だと心から思った。 アーティさんはこちらをちらりとも見ないまま、キャンバスに向かっている。美しい森の風景画だった。 深緑、萌黄色、若竹色、老竹色 千歳緑、若苗色。アーティさんを好きになってから知った色の名前。 この世界が眩しく見えるようになったのは、この騒がしい街が、何もない私の故郷が、眩しく見えるようになったのはあなたのお蔭。あなたの魔法。 アーティさんが好きだった。 「きみが決めたのならね、なんにも怖い事なんてないんだよ」 「・・・そう、なんですけどね」 「分かってるならいいじゃないか」 絵を描いている時の、特に色をのせているときのアーティさんは普段の数倍は格好良い。張りつめた横顔。 私の事を心配してくれているというのに、話半分であなたに見とれている私は本当にどうしようもない。 私は今日イッシュを出る。船に乗って海の向こうへ、知らない土地へ行く。 不安と期待の入り混じった気持ち。 飛行機じゃなくてわざわざのろい船を選んだのは、勿論最後に会うのはアーティさんと決めていたから。 不安な気持ちを取り払ってくれるのは、この人の色彩だったから、いつだって。 「変化というのは、私にとって、いつも不安が付きまとうものでした。初めてモンスターボールを握ったときでさえ」 「だけどきみはトレーナーとして道を極めた。そして自らを高めようとしている。そうでしょ」 「ええ。駄々を捏ねている子どもみたいなことを言っていることは分かってるんです。怖気付いているだけなんです」 緑色たちが厚みをもっていく。または軽やかになっていく。森に飛び込んでいくような気持ちになる。 深呼吸をすると、晴れやかな心が蘇っていくのを感じた。爽やかな風。アーティさんに初めてであった時のような。 「わたしがアーティさんのことを好きだったって、気付いていましたか」 絵筆が止まった。こちらを振り向いたアーティさんの顔は、いつもの地上3センチで浮いているみたいな優しい顔になっていた。びっくりした表情になって。 「アーティさんのお蔭で私は本当にいろんなものの見方が変わりました。これも変化なんでしょうね」 アーティさんがあまりにも何も言わずに絶句しているから、私は続けて言った。 「ちょっとポエムみたいな言い方すると、世界に色彩を付けてくれた人っていうか、私を美しい世界に連れ出してくれた恩人だとさえ思っています」 船の出航時間が近づいていることに気付いた。座り心地の良い椅子から立って、アーティさんの描きかけのキャンバスと、壁に貼られた風景や虫ポケモンをぐるりと見回して焼き付けた。 「行ってきます、アーティさん。私はもっと広く世界を見てきます。私を変えてくれる何かにまた出会えるように。忙しいのに構ってくださってありがとうございました。さよなら」 アトリエを出ると初春のふくよかな香りと青く、青く、青く、 青く、青く、どこまでも青い空が広がっていた。 言い逃げしちゃったわ。でもこれで心残りはもうなくなった。なんの気負いもなく行くことが出来る。 「待って!」 だけど、アーティさんの声を聞くとやっぱり後ろ髪を引かれる思い。なんなら走って逃げればよかった。アーティさん走るの遅いもん。 「な、なんですか、なんで追いかけてるんですか。なんにも言わないでください!態々ごめんねとか言いに来たのなら、私のシャンデラちゃんが火を吐きますよ!」 「ぬうん・・・なんて残酷なことを言うんだい」 「あっ洒落にならないですねごめんなさい、じゃなくてですね、本当にもう私行きますから、格好つけて出て行ったのに追いかけてこないでください!」 雲一つない空に白い靄が走る。船から出ていた。もうすぐ出航だ。本気で逃げるんだった。格好悪いし恥ずかしい。 「あのね、じゃあね、真面目に言うから聞いてね」 アーティさんが首を傾げながら私の顔を覗き込む。ふわりと髪にくすぐられる。 「きみのその頬の色に、純情ハートを奪われたって言ったら、笑うかい」 私は虫ポケモンと同列か、なんて思ったのは一瞬で、照れて笑う顔がなんだかとても素敵で、胸がぎゅうっとなって、私はもうどうしたら良いのか分からなくなってしまった。 だけれど世界は相変わらずきらきらと色彩に塗れて光っていた。それだけは確か。 |