メンタルジャック




錯覚だと思って何度もよく目を凝らしてみたのだけれど、もしかすると眼鏡の度を上げる必要があるのかもと疑ったのだけれど、視覚に関する思案はとうとう杞憂だと結論付けるを得なくなってしまった。何十メートルも先のあなたを僕は易々と発見できる。
目が狂ったのではないとすると果たして。誰かを呼んで検証してみれば良い、それが近道だとは思うけれど、自分自身この現象が正気の沙汰では無いと理解しているから当然ためらってしまう。気心の知れた幼馴染にだって出来ることなら隠しておきたい。

・・・ベルよりもトウコよりもフウロさんやカミツレさん・・・よりも、アデクさんが可愛らしく見える?どういうことなのだろう。

尊敬しているし、とても大切な存在だ、アデクさんは。格好良いと心酔するならまだしも、可愛らしいなどとどうして思ってしまったのだろうか? 可愛いという言葉すら今まで出てきやしなかったというのに。一体何が切っ掛けだったのかさえ分からない。気が付いたら僕の心に涌いていたのだ。この恐ろしい感情が。 お蔭でここ数日アデクさんの顔をまともに見ることが出来ない。目と目を合わせたら何かが始まって、何かが終わって、きっとマトモじゃなくなってしまう。 僕にはそんな予感があった。



「ねーえ?」

トウコが僕の前にバルジーナと二人で立ちはだかったのは、悶々とした日々が始まって6日目のことだった。 仁王立ちの彼女と威嚇姿勢のバルジーナ、4つの鋭い目に射すくめられ、女の子って怖いな、なんて逃げ出したい気持ちになりながら思った。

「最近どうしてそんなに様子がおかしいのか、私に説明できる?」

遠回しで含蓄ある言い方に、しまったこれは怒っている、そう直感する。

「至っていつも通りだよ。何を勘ぐっているの」
「心配して言っているのよ。分かるでしょう」

分かっているよと言いかけて飲み込む。申し訳ないのだけれど、でも僕はどうしても自分の秘密を打ち明けるわけにはいかないんだよ。 僕の立場を瓦解させることや、アデクさんへ好奇心に満ちた視線を向けられることを防ぐためには。

「勘弁してよ、頼むから」
「勘弁しないわよ。ベル!」
「あっ、あわわ、うん!」

トウコがバッと右手を振りかざす。遅れてベルの慌てたような声が上空から聞こえる。その方向に慌てて目を向けると、念力で浮いたムシャーナと、それに乗っかるベルが居た。

「ごめんねチェレン!サ、サイコキネシスー!」

ムシャーナの威勢のいい声と共に僕に向かって念波が放たれた。と、体が硬直する。空中で大の字に磔されてしまった。

「・・・トウコ、ベル、一体どういうつもりなんだい?」
「こーいうつもりよ!」

トウコのいつになく楽しそうな笑顔に驚いたその刹那、バルジーナの柔らかい羽が僕の全身をこちょこちょと弄っていた。かくして僕は、幼馴染女子二人の前に屈服したのである。



「・・・はぁ、はぁ、どう、無理やり聞き出した僕の秘密は、いいネタにでもなりそう?」
「何不貞腐れているのチェレン。私とベルは至って真面目にあなたの話を聞いていたじゃない」
「うん、そうだよチェレン・・・大変だったんだね、いろいろと・・・」

一仕事終えたバルジーナの丸まった背中を背もたれにして僕は地面に座り込む。確かに二人は僕を笑ったりしなかった。アデクさんが可愛らしく見える?!と叫ばれはしたけれど。 逆に秘密にしていた僕が馬鹿みたいなくらい真面目に話を聞いてくれた。

「ポケルスみたいなもんよ・・・時間が経てばもしかするとさ、錯覚だったってなるかもよ」
「うんトウコ、ポケルスの効果は永続的に残るものなんだけどそれについてどう思う?」
「例えが悪かったデススミマセン」

トウコは額に手を当て、うーんと声をあげる。しばしの沈黙。なんだか悩ませてしまって申し訳なくて、考えがまとまらなくて、言葉が出ない。 そこでベルがおずおずと手を挙げる。「あの・・・あのね」怯えたような上目使いにこっちまで緊張してしまう。

「ちゃんと、話してみたらどうかな」
「えええ、もう告白?!」「なんだって?」

僕とトウコの叫び声が同時に上がって、ベルがわあっと小さく悲鳴を零した。

「告白じゃあないよ。ちゃんと目を合わせてお話しするだけだよ。だって、アデクさんだって多分チェレンの様子がおかしいって気付いているはずだよ?きっと、チェレンがいきなり余所余所しくなって淋しいって思ってるよ」
「そうだわ、そうよね!大体いつまでもこうやって悶々としていたって、今の状況は変わらないわよ。あなたがちゃんと向き合わない限り。ずっとぼさっとしててどうするの?」

・・・小さい頃から同じ町で一緒に育ってきて10年ちょっと。ここまで2人が組んだ時の恐ろしさを実感したことが無かった。クルミルをベッドに入れられた事件の時より嫌な予感がする。

「うんうん、そうと決まれば行かなくちゃ!」
「どっ、どこへ!」
「リーグよ!行くわよバルジーナ!来ないなら私たちがアデクさんに言ってやるわ!」
「“チェレンがチャンピオンのこと可愛いと言ってました”って?冗談じゃないよ!」

さっきまでの真面目さはどこへ行ってしまったんだ?本当は面白がっているんじゃないか?僕の心からの叫びは、サイコキネシスで無理やりバルジーナの背中に乗せられた辺りで掻き消えた。




飛行させられること数分、見慣れたリーグの景色が飛び込んでくる。ジョーイさんやリーグのスタッフさんに笑って挨拶はできたけれど、胃がきりきりして脂汗まで出てきた。

「あっ、チェレンさんこんにちはー!」

廊下の向こうの方から四天王のシキミさんが手を振りながらやってきた。

「こんにちは」
「トウコさんとベルさんも、こんにちは」

あっという間に女性陣が立ち話を始めた。どうして女同士はこんなすぐに盛り上がる事が出来るのだろう。だけどこれはチャンスだ。一気に廊下を駆け抜ける。

(冗談じゃない!今のうちに逃げないとえらいことになっちゃうよ)

久しぶりの全力疾走に疲れてきた、建物の外に出て数メートル地点。走りながら後ろを振り返った瞬間に思いっきり人にぶつかってしまった。

「いたっ!あーごめんなさい」
「ああ・・・おや?チェレンか」
「あ、レンブさん。こんにちは。道理で痛いわけですね」

レンブさんの筋肉との正面衝突はなかなかのダメージだったが、今はそう、逃げなくてはならない。たとえ一時的な避難だろうと、僕は逃げなくてはならない。

「師匠に会いに来たのかな?しかし今師匠は出かけているんだ」
「えっ本当ですか!」

心の底からほっとする。なんだ逃げなくても良かったじゃあないか。しかしそうなると怖いのはトウコの仕返しだ。 いっぺんに表情が変わりすぎたからだろうか、レンブさんが心配そうに顔を覗き込んでくる。

「大丈夫か?まあ折角来たのだ、お茶でも飲んでいけ。もしかすると途中で師匠が帰ってくるかもしれないしな」
「あー・・・折角なんですけど、「チェレーン!!!」

しまった!自動ドアが開く音と共に、トウコが僕を呼ぶ声がした。恐る恐る後ろを振り返ると、トウコとベルとそれからシキミさんが笑顔でこちらに歩いてきた。

「とりあえずまた日を改めて来ましょうか?」

トウコの笑顔がなんだか悪タイプのそれに見えてしまう。そしてシキミさんが微笑を湛えている。恐らく僕の悩みは四天王様の耳にも届いてしまったのだろう。頭痛がしてきた。

「おお、君たちも来ていたのか。みんな良かったら中で一休みして行きなさい。お茶くらいごちそうしよう」

レンブさんの手のひらがどんどんと僕の背中を叩く。多分本人的にはぽんぽんと優しく叩いているつもりだと思う。

「わあ、ごちになりますー」
「シキミは自腹だ」
「レンブさんのケチ」


リーグのラウンジで話をしていると楽しい気分になってきて、さっきまでの不安が飛んでいくようだった。 だけどレンブさんの言葉通り。アデクさんは、お茶の途中で颯爽とリーグに帰ってきた。

「おう、ただいま!なんだ、今日はお客さんが一杯だなあ。丁度良かったのぅ!」
「今度は何を始めるのですか?師匠」
「テーパーティー、じゃ!」

そういうとアデクさんはどん!と大きな箱をテーブルに載せた。箱についたリボンをしゅるっと解き、豪快に箱を開ける。 カラフルなきのみに彩られたやたらと大きな四角いケーキが照明にきらきらしながら現れて、女性陣からきゃあと声が上がった。



起きたてのカトレアさんと何故かジャージ姿のギーマさんが加わって、“テーパーティー”は突発的に始まった。

「ナニ、その恰好」

カトレアさんが興味なさげにギーマさんに聞くと、「このところ負けが続いていてねえ・・・あ、ポケモン勝負は負けなしだけれど」と返事があった。

「だらしないわ」
「嘘だよ、今日はわたし非番だろう」

通りかかったトレーナーやリーグで働いている人たちにもアデクさんはケーキを振る舞っていて、かなりボリュームがあるケーキだったけれどあっという間に無くなってしまった。

「このケーキ、一体どうしたんですか?」

満足げな表情のアデクさんに聞いてみる。あれ?なんだか久しぶりに目を合わせて話しているような気がする。

「ああ、今日知り合った子の家でな、一緒に焼いたんだ。小さいのに器用な子での」

詳しく聞いてみると、やっぱり今日もイッシュを周回して伝道師していたそうだ。 虫ポケモンが嫌いだった女の子がアデクさんのメラルバとは仲良くできて、その子とお母さんがお礼にとお家へ招待してくれて、ケーキを一緒に焼いてお土産にしてくれたらしい。

「すごいですね、色々と。ケーキ、とてもおいしかったです、ごちそうさまでした」

自然と笑顔になってしまう。アデクさんはやっぱりすごい人だな。 それと同時にふりふりのエプロン姿のアデクさんが脳内に浮かんできて、またもや可愛いなあと思う気持ちがぶりかえしてきた。いかんいかん。冷静に、今までと同じに。

「ふふふ、やはりすいーつはすごいな、元気がなかったチェレンに、元気が戻ってきておる」
「えっ・・・」

いきなり見透かすようなことをいうものだから、びっくりしてまじまじとアデクさんの瞳を覗き込んでしまった。やんちゃ、という言葉が似合う笑い方で僕を見た。

「子供は笑っているのが一番だ」

あなたも、という言葉を一生懸命飲み込んで、僕はもう一度、ありがとうございます、と笑って答えることが出来た。良かった、きっともう、僕は大丈夫だ。

すごいね、ベル。ちゃんと話したらもやもやは解消したし、アデクさんにこんなに見守られていたなんて思わなかった。トウコは・・・背中を押してくれてありがとう、かな。 というようなことをお礼しようと思っていたのだけれど、
「やばいわ、チェレンじゃないけど、アデクさんがなんだか可愛いおじい様に見えてきた」
「どうしよう、わたしもなんだかそんな気がしてきたよ」
「うふふ、2人ともお気づきになりました?この流れでエプロン姿が脳内再生出来るようになってからが本番ですよ」
なんて会話がさっきの三人組から聞こえてきたものだから、やっぱり今話しかけるのは止めておくことにする。



「それじゃあ、今日はありがとうございました」
「ごちそうさまでしたー!」
「ケーキとっても美味しかったです」

日が沈みかけの時間に、僕たちはリーグを後にした。四天王とチャンピオン直々にお見送りだなんて、イッシュ中の人が僕らを妬む事だろう。 だけど今日はどれだけ妬まれようと呪われようと、幸福な気持ちのまま眠ることが出来そうだ。
アデクさんが好きだ、とても。尊敬しているし、格好良い人だとも可愛い人だなとも素敵な人だなとも思う。僕はイッシュ中の人に胸を張って言えそうだ。アデクさんが好きだと。 悶々と悩む必要なんて無かったんだ。目と目をちゃんと合わせて、話して、僕は僕の気持ちを信じて大丈夫だって思えたのだから。

「チェレンがつやつやしてる」

トウコがにやにやと悪タイプの笑い方をする。トレーナーとポケモンは似るものだけど、トウコの場合バルジーナにトウコが似てきた、というか。

「なんだか両肩からイシツブテを降ろしたような気分なんだ。二人ともありがとう」
「ベル、チェレンが爽やかだと怖くない?」
「そんなこと言っちゃだめだよ、チェレンが折角爽やかなんだから」
「ちょっと」

きれいな夕日に向かってモンスターボールを投げる。出てきたケンホロウが僕を見て一鳴きした。久しぶりに見たリーグの景色を嬉しそうにぐるりと見回していた。 明日からもきっと元気にアデクさんを僕は追いかけていくだろう。そんな日常の予感に僕は少しだけどきどきしながら、ケンホロウを飛ばした。



title:花眠