夏が沈んでいく




 3年の新開さんと俺の幼馴染である泉田塔一郎の様子がおかしいことは、目に見えて明らかだった。 おかしいと言っても険悪な雰囲気という訳ではないから、まあ良いのかもしれないが。 問題はその距離感だった。仲が良すぎるというか、一歩間違えるとただならぬ関係にしか見えない。 ハコガク自転車部の八割は気付くだろって勢いなのに誰も指摘しない。一体どういうことなのか。 俺が気にしすぎなのだろうか、だけど幼馴染として心配なのだ。

 どんなに早く部室に行こうが、最初に居るのは塔一郎と新開さんだった。新開さんはいつも通りで、塔一郎は落ち着きの無い様子でお早うやらお疲れ様やら言う訳だ。おかしい。
 スキンシップ過多なのも意味が分からない。元々新開さんは同級生だろうが後輩だろうが過剰にボディタッチしがちだと思っていたが、塔一郎へのそれは明らかに多い。 俺が見張りすぎなのかもしれないけど多すぎる。おかしい。
 あとはアレだ、寮までのほんの僅かな距離を、練習後決まって二人で歩いている。これはあえて見張っていて、多すぎると断言できる。おかしすぎる。

 証拠と言うにはまぁ何も資料の準備もクソも無いが、今はどうやって塔一郎に問いただすかと言うだけの段階だ。 幼馴染数年の付き合いと言っても、ばっさり聞けることと聞けないことだってある。もしかしてお前はホモなのかなんて聞かれて不愉快に思わない男が居たらそりゃマジですげぇ。 てかホンモノのホモくらいだろうな。たぶんな。



 なんて思い悩み続けて2週間弱。ハコガクもすっかり夏休みに突入してしまった。もうすぐインターハイ、いよいよ塔一郎に聞き辛くなってしまった。 くだらねえことで悩ませたり困らせたりするわけにはいかない。それに最近は二人の様子が特におかしいなんてことも、なくはないけど減ってきたような、気がする。 現にこうやって早めに部室来たけども、どうやら俺が一番乗りのようだし。気合を入れて、今日は長距離に挑む。インハイの後には俺にだってレースがある。
 日差しと蝉しぐれの降りしきる箱根の道へ踏み込んだ。


 とはいえ暑さと塔一郎の件でアタマがぐわんぐわんして、集中力がだんだん切れてきてしまった。欠伸が3発くらい連続で出る。やべえ休もうと思ったところで、

「ユキちゃーん!」

 後ろの方で聞き覚えのある声がした。軽やかな車輪の音がして隣に葦木場が並んだ。

「はえーな今日のオマエ。全力かよ」
「そう!頑張るよ!でも次の分岐で裏街道に入っていったん戻る」
「俺は今日ロング行くわ。つーか何時に出てきたんだよ、俺大分早く出発したけどな」

 えっとね、という声のあと、うぎゃあ!と悲鳴がして葦木場が後退する。

「うわー!ユキちゃん!セミ!セミが頭にぶつかったよ!」
「ウルセェな!セミ位でぎゃあぎゃあとっ!」

 ふうとため息を吐いたあと、葦木場が後ろに「休憩〜」なんて言いながら付いてくる。まぁコイツの騒ぐ声で若干頭がはっきりしてきたし、 しかたねぇな引いてやるよと言うとわあきゃあと嬉しそうに騒いだ。ひとしきり鼻歌なんか歌ったあと、葦木場がいきなり真面目トーンでぽつりと言った。

「ユキちゃん、泣きそうな顔してた?さっき」
「ハア?んなわけねーだろ!欠伸だよ!男は高校生になったら泣いちゃいけないって、新しい憲法知らないのかよっ」
「し、知らなかった・・・どうしよユキちゃん。いずみん君さっき、泣いてたよぉ、逮捕されちゃうの?」
「ばぁか、ウソに決まってんだろ!・・・・・・は、今なんつった」




 ほら、カーブの・・・あの、ローソンのとこだ!と慌てて説明する葦木場を置いて、目の前の信号を確認してそこでUターンをする。 びゅうびゅうと風を、耳が千切れ落ちそうになるほどに切って走る。
 なんだよ。なんだよ。なんだよ!意味わかんねぇ!確かに塔一郎はよく泣く奴だけど、最近のアイツの様子なんかを思えば、何かがあるとしか思えねえ。 無我夢中でペダルを踏む。夏休みとはいえまだ人通り車通りの少ない時期で良かった。コース取りめちゃくちゃだ。
 葦木場の言っていたローソンが見えた。近づいていくと人影がはっきりする。そこに、塔一郎は居た。駐車場で、サドルに座ったままで、空を見てぼおっとしていた。 塔一郎は行き詰ると溜息を吐いて上を向く。知っている。塔一郎のことは、俺が一番知っている。


「塔一郎!」
「え、ユキ。びっくりした」

 目を丸くしてこちらを見る。その様子はいつもと変わらない。むしろ落ち着いて見える。

「何してんだ、休憩か?さっき葦木場に聞いたぜ、お前がここに居るって。それで、それで・・・」

 キョトンとする様子からは葦木場が言ってた泣いてたのなんのという感じは受けない。あの天然ヤローの見間違えか何かだろうか。

「まぁね。問題ないよ。すぐに行くから。それよりユキ、お前今日ここ下るコースだっけ?逆走じゃないか?」
「そ、れは、お前を見に来たんだろ」
「は?ボクを見に?どうしたんだよ、意味分からないけど」

 確かに意味わからん。偉そうに言ってしまったところがさらに意味わからん、俺。

「だからぁ、葦木場の奴がな、塔一郎がローソンとこで泣いてたとか言いやがるから、ホントかよと思って見に来ただけだよ!元気だな!良かったぜ!じゃあな!」
「へ、それでユキ来てくれたのか」
「ああそうだよ、無駄足だったけどな。さーて今日のノルマが残ってるつーの、じゃあなったらじゃあな」
「ユキ!」

 ペダルを半回転させたところで引き留められる。振り向くと塔一郎はさらに続ける。

「ユキだけに、聞いて欲しいことがあるんだ」





 塔一郎が言葉を選びながらぽつりぽつりと語っていく言葉に、ただ口を挟むことなく耳を傾けた。 口を挟む、余地もねぇ。言葉を発するとしたら、「なんでだ」それしか言えそうになかったからだ。

 ―――ボク、新開さんと、その・・・お付き合いっていうのかな、始めたんだ。こんなことインターハイ前に駄目だって分かっていたんだけど、だけど、我慢出来なかった、んだ。

 頬を紅潮させて照れたカオして、なんなんだ。ガキん頃自転車の補助輪外せた時そんな喜んでたか?小学校で作文の賞取った時そんな顔してたか? 中学で一緒のクラスになったってはしゃいだ時は?ハコガク二人で受かった時は? 上手く思い出すことが出来なくなっちまっていた。今この瞬間の、こんなに嬉しそうな表情を見てしまったから。
 黙ったまま頭ン中でぐるぐるやってる俺を不安そうに塔一郎が見た。

「呆れたのか?ユキ。ボクはちゃんと走る。役目を全うする。その為にずっと身体を作ってきたんだ。それとこれとは別だよ、言い訳みたいに聞こえてしまうかもしれないけど」

 でもその鍛えた筋肉新開さんに触らせてるんだろ、性感帯として触らせてるんだろ、お付き合いなんて結局そういうモンだろ、意味わかんね、塔一郎、だって男だぜ、 同じ部活だぜ、それなら俺だって同じじゃねえか、むしろ新開さんよりお前のこと理解できるしインハイ勝てるように俺自分の練習捨ててお前のサポートだってしちゃうぜ。 ・・・あれ、俺、何思ってんの、塔一郎はなんで俺にそういう思いを抱かなかったのかって、そっちにムカついてんのかよ、おい、おいおいおい、おい。

「おい!っていうか聞き損ねてたけどよ、お前はここで泣いてたってなんなんだよ」
「葦木場、見てたんだね。恥ずかしいけど、そうだね」
「・・・新開さんに泣かされたとか言うなよな」
「ちが・・・いや、その、初めて、キ、キ・・・「あーーーーもういい分かった分かった感激して泣いたってか、ホント塔一郎は感情豊かでいいこっちゃ」

 自分の筋肉たちを触りながら塔一郎が恥ずかしそうにしゅんとする。 新開さんの為に笑ったり泣いたり走ったり、もうなんていうか、なんて、いうか、俺には分からなくなってしまった。塔一郎を一番知っているのは俺だと思っていたけれど。

「よかったな、塔一郎よ、おめー新開さんのことずっと憧れてたしな、こんな煩悩でインハイ駄目にするほどおめーも新開さんも弱くねーしな」
「・・・ユキ、ありがとう。ユキにそう言ってもらえると、許されたような気分だよ、本当に。ありがとう」

 じわじわじわとセミが鳴き喚く。夏が刺さってくる。あと1週間余りでインハイだ。だのに高揚する筈の気持ちがどんどんとぬかるみにハマるように溶けていく。 なんだこの感情。おかしくなったか。俺のアタマにもさっきセミ当たってたか。

「まぁ、せいぜい頑張って隠し通して、ちゃんと優勝しろよ。そしたら誰も文句いわねーよ」

 ぬかるみは俺の足首を捕えていた。笑ったままで顔が引きつって固まる。塔一郎。塔一郎。足元は嫉妬の沼だった。ここに在って良い筈の無い、きたねぇ嫉妬の沼だった。

「塔一郎、」