ストロベリジカルリリック




 7月も半ば、梅雨が明けて夏が来て、インターハイへの気持ちが昂ぶる時期だ。さあいつものように練習だと放課後部室へ向かうと、なにやら福富さんが女子生徒数人に囲まれていた。 強面(なんて決して口には出さないけれど)な福富さんの印象にそぐわない状況に面食らったが、一歩ずつその輪に近づくにつれ状況が読めてきた。 甲高い声が新開くん新開くんと口々に言う。なんと福富さんが気の毒な状況なのだろう。足を早めると、話の内容が必然的に耳に入った。

「えー、新開君まだ来てないのおー?」
「いいじゃん、誕生日くらい練習しなくったって」
「そうだよー。休みにしてあげよ?」

 4・5人、3年の先輩だろうか。が、福富さんに詰め寄っている。 今日新開さんの誕生日だったのか!と、なんて我儘な女性なんだろう!と、福富さんはどんな反応をするのかな。と思考が一気に散らかる。

「む、そういう訳にはいかない。何故なら俺たちは・・・」
「えー?どうする?もっかい教室行く?」

 福富さんの言葉なんてどこ吹く風といったふうに話続ける女性たちの間を縫って、ようやく主将に挨拶が出来る。

「福富さん、おはようございます」
「ああ、泉田。新開と会わなかったか」
「いえ、まだです。ところでこれは一体何事なんですか」

 女性たちはまだ話し続けている。もー、じゃあここで待ってるー?そーしよー、んで小田原まで連れてくのー。なんて能天気な声に思わず口元が笑ってしまう。 小田原?自転車で行けますよ。貴女方は新開さんのなんなんですか。新開さんが小田原まで走ったとして貴女達着いて来られるんですか。

「今日は新開の誕生日でな」
「ハイ、それは聞こえました・・・新開さんのお誕生日、今日だったんですね」
「そうだが」
「ボク知らなかったです。言ってくだされば何か用意できたのですけど」
「そうは言っても今はIH前で忙しい時期だからな」

 もう、福富さんは。それでこそというかなんというか。
 ・・・誕生日。新開さんが本当に一緒に過ごしたい人、したい事、いるのだろうか、あるのだろうか。

「お〜。早いなフク、泉田・・・」
 東堂さんがやって来た。挨拶を交わし終えるか終えないかの速度で、新開さんファンの女性を見つけた東堂さんが明るい声をあげる。
「ムッ!なんだ、今日の練習は女子の応援付きなのか? それはいいな!」
「いえ、あの方たちは新開さんの追っかけです」
「ナニ!・・・あーそうか、今日はあいつの誕生日だったな!」

 東堂さんまで新開さんの誕生日を知っている。それはそうか。東堂さんは誰よりこういう行事めいたことが好きそうだ。

「新開さんのお誕生日、先輩たち去年は何かしていましたっけ」
「どうだったかな・・・荒北の部屋に集まって、ケーキくらいは食べたと思うが」
「どうしてまた」
「アイツの部屋が一番片付いていたからな!あ、そうそうそうだ、誕生日と言えばだな、この前巻ちゃんの誕生日だったのだよ! いつだと思う?なんと七日なのだよこれが!七夕に誕生日とはなかなかロマンチックではないか!なぁ、フク聞いていたか?」
「ああ、そうだな」

 東堂さんの巻島さんスイッチが入ってしまったので、
「はぁ・・・そろそろ着替えます」
 とボクが言ったのがまるで合図のように声が湧いた。きゃああ!新開くぅん! 誕生日おめでとう!ねぇお菓子作ったの、食べてー!今日小田原行こー! といった具合に。 気になってなんとなく見てしまう。新開さんがどんな顔をしていたのか分からないけど声がする。

「うーん、悪いな。練習有るから、また今度」
「えー!やだー!一緒に誕生日祝うから!」

「むぅ・・・なかなか困ったことを言う女子だな」
 東堂さんでさえ唇を尖らせて驚いた顔をする。と、遠くからでもよく分かるくらい不機嫌そうな荒北さんがずんずんと大股でやって来たので、 ボクは部室の奥に引っ込むことにした。

「うーるっせーな!練習の邪魔だからどっか行け!」
「ぎゃー荒北ぁ!」「そっちこそ邪魔しないでよ!」「もー行こー」「またねー新開くーん」

 怒鳴り声と悲鳴と非難との大きな声が箱根の山に消えていく。あとは静寂が戻って来て、ようやく自転車競技部部室の扉を閉めることが出来た。



「いやぁ・・・悪いな靖友。憎まれ役してもらって」
「ホントーーだよ!自分の追っかけくらい自分でどーにかしろッ」
「しかしならんぞ荒北。いくらしつこい女子だからって、あんな風に怒鳴るのは」
「っせ!怒鳴ってねーし!」
「怒鳴っとるわ!」

 先輩たちが、というか東堂さん荒北さんが着替えながら言い合う。隣でにこにことそれを聞く新開さんと、ボクは今日初めて口をきく。 「新開さん」と声を掛けると、「んー?」と態々こちらを振り返ってくれる。

「今日、お誕生日だったんですね」
「ん?ああ、そうだな、もう18だよ」

 僕はまだ16ですよ、と心の中で言いながら、おめでとうございます・をする。今だけ僕たちの差は2歳。新開さんをますます遠くに感じてしまう。 サンキュー、と応えられると会話は着地して、終わってしまった。

「福チャン、今日何すンの?」「ああ、今日は・・・」
 と向こうで始まった会話に耳を傾けてなんとなく間を取った。新開さんの鼻歌が隣で聞こえる。




 各々の練習メニューが始まって、部員が散り散りになっていく。ボクはというとノルマのトレーニングを早々に終わらせて、これから走行距離をいつもより伸ばして練習をする。

(インターハイ・・・もうすぐだよ、アンディ、フランク)

 まだ肉の中で微睡んでいるアンディとフランクにそっと手をやる。僕の身体はインターハイの為にある。新開さん、皆さんと、箱根学園の名前を背負って走る為に。 それはボクにとって本当に特別なことだ。憧れの人と同じチームで走ること。新開さんと。この想いだけで身体に炎が灯る。熱くなってドキドキする。 吹き抜ける風の中に、青い空の色の中に、箱根の新緑の中に、このアスファルトの上に、新開さんの想いが、ボクの想いが、みんなの想いが満ちているのだった。

「アブ!」

 一呼吸するとペダルを全身で回転させた。新開さんの想いが、アスファルトの上に。ボクはそれだけでもう十分に戦うことが出来る。






練習が終わってご飯を食べて、ごちそうさまをしてそのすぐ後に、ユキがボクを探して遠くから声をあげる。

「おーい、塔一郎ー」
「なに?ユキ」
「ちょっと試験勉強見てくれよ」

 そういえばそうだ。インターハイが近づくということは学期末、定期試験も近いということ。 20時。シャワーを浴びて、ユキと勉強をして、1日が終わってしまう。 テーブル2つくらい向こうに新開さんの姿が見える。
(まぁ、別に、さっきもう言えたからいいんだ、おめでとうございますって)

「ああ。いいよ」
「おう、サンキュ」





 ユキの問題点も粗方クリアして、ボクの宿題やなんかも終わって、一段落というときになんとなく今日の3年女子の来襲の話をしてみた。

「本当にすごかったよ。というか今日新開さん、誕生日だったんだな」
「へえー。確かにあの人夏生まれーって感じだな」

 そうだね。と答えてふと思う。あ、そういえば世界史の暗記どうしよう。なんて考えていると、ユキがおいおいおいおい!とテーブルを拳で叩く。

「ハ?終わり?」
「何が」
「だから、それでなんかしたのかよって」

 一瞬経って新開さんの話か、と分かる。なんかってなんだ。僕にはおめでとうございますって言ってそれで終わることしか出来ないよ。

「いや、別に・・・なんで」
「はあああ〜ぁ!トーイチロー、お前お勉強はデキるのにホンット真面目ちゃんだな!いや、お勉強出来るから真面目ちゃんなの?」
「どっちでも良いよ!で、何が言いたいんだ?!」

 ユキがやれやれの仕草をしてシャーペンの先をこちらに向けて言う。

「だからぁー、オマエ新開さんのこと好きじゃん?」
「はっ?!」

 本当にユキはざくざく物を言ってくる。荒北さんに憧れだしてその傾向が一層顕著になったように思う。良い事だけど困ったことだ。例えばこういう時なんか。

「そ、そ、それがどうかしたか?確かに新開さんは強くて美しくて速くて格好良いけどね・・・ユキ!」
 おもしれぇと言うように笑うユキの顔に腹が立つ。テスト直前覚えてろよ。
「だからぁ〜、来年の今日ダイスキな新開さんと一緒に居られるか分かんねぇだろ?だったら特別な日、もーーーちょっと祝ってもイイんじゃね?ってことだよ!」

 こういう風に言ってくれるのは、良い事だと思う。な?と笑うユキの顔に面白がっている風は無い・・・というのは嘘だったようで、 にんまりと笑ったあとユキはボクを思いっきりドアまで引っ張ってそのまま部屋から叩きだしてくださった。

「行けっ塔一郎!」「ユキーー!覚えてろよ!!」



 追い出されるままに3年生の部屋まで歩いていく。新開さんの部屋に近づくと、何かやましいことがある訳ではないのに緊張してしまう。 その新開さんの部屋は少しだけ開いていて、中から光が漏れている。消灯時間は過ぎている。・・・だからボクは怒られますよ、と注意に行くだけ。それだけだ。

「新開さん・・・?」

 そっと隙間を広げて中を覗くと、部屋では三年の先輩が一堂に会してホールのケーキを崩しているところだった。

「あ、お邪魔しました。スミマセン。廊下に、光が、漏れていたので」
「おお〜、泉田!ケーキだぞ、お前も一緒にどうだね?」

 僕と東堂さんの声が同時くらいだった。新開さんがその隣でボクにさっと手を振ってくれる。

「いえ、まだ体・作っている途中なので、夜に甘いものは、ちょっと。おやすみなさい」

 ゆっくり言葉を絞り出して、ボクはそっとドアを閉める。・・・僕だけ新開さんと居られるの最後なんじゃない。 先輩たちだってそうなのだ。それなのに、ボクは一体何を望んでいたのだろう。新開さんに何を言うことが出来るというのだろう。 消灯されきった廊下を早足で。そうだ、もうすぐ今日が終わる。ゆっくり寝て、朝練をして、そうやってインターハイに近づいていくんだ。今のボクは、ボクに出来ることは、それだけ。


「泉田!」

 ドアを5個くらい過ぎた所で、新開さんの声がした。そんな馬鹿なって振り返ると、やっぱりそこには新開さんが居たのだった。

「新開さん」
「悪いな、何か用事だったんだろ、聞くよ」
「いえ、そんなんじゃないですよ。すみません、わざわざ席を立たせてしまって」
「おいおい、気を遣うなって。こんな遅くに来てくれたんだ、なんかあったんだろ?」

 ん?と首を傾げて新開さんが微笑む。優しい。ボクはこの人に、やっぱりどうしようもなく憧れてしまう。それならばちゃんと伝えるべきことは、伝えるべきなのかもしれない。 少し恥ずかしいけれど。

「・・・ありがとうございます。でも練習の相談とかじゃないんです。ただ、新開さんのお誕生日を祝えるのが、今日で最後になったら、と・・・それで」

 来年はもう、と付け加えると、新開さんがそっと俯いて、前髪を掻きあげながらハハと笑った。

「わ、笑いますよね、ごめんなさい。さっきユキに言われて、慌てて来て、こんな纏まりのない事をいきなり、スミマセン」
「いや、違うんだ。なんか嬉しいなって思ってよ。泉田」

 はい、と言うとホレ、と言われる。差し出された手の下に掌を向けると、赤い飴がころりと落ちてきた。

「アメ、ですか」
「そ。イチゴ」
「ありがとうございます」
「アメ一個くらいなら、いいだろ?」

 夜に甘い物。新開さんがあまりにも素敵に笑うものだから、ボクはそのまま飴の包みを一気に剥がして口の中に放り込む。イチゴの甘い味がした。 これ持って追いかけてくれていたのか、と思うと嬉しくてくすぐったい。なんでかな。 さっきのケーキのイチゴをおすそ分けされたような気分だった。

「わざわざ祝いに来てくれてありがとよ」
「いえ、そんな・・・というか新開さん、あと5分で終わっちゃいますよ!」
「お、本当だ。そろそろ寝なくちゃなあ」

 と、言いつつ、新開さんはそのまま戻ろうともせず、ポケットから飴をもう一つ取り出して口に入れた。赤、だった。

「戻らなくて、いいんですか?」
「いいよ。最後の5分は泉田と居るよ」
「そんな!えっと・・・その、本当に、ホントーーに、ボクで良いんですか?」

 昼間に思ったことがまた浮かんでくる。新開さんは誕生日何を、誰と。本当にボクここに居ていいのだろうか。 少し混乱していると、頭をぽんぽんとそっと撫でられた。

「そんな難しい顔するなよ」

 ―アンディとフランクよりもっともっと内側で、何かが、ドキドキしていた。新開さんの体温が頭から全身に浸透する。 ドキドキと血が熱くなっていく。なんでだろう。

「イチゴ、おいしいですね。甘い物久しぶりに食べました」

 今度からイチゴを見ると思い出してしまいそうな位だ。甘美な痛み、これは一体なんだろう。

(新開さん、ずっと一緒に居たい。5分なんて短すぎる)


「甘くて、おいしいです」

 同じ味が口の中に広がっている筈だ。飴は、5分で溶けてしまうだろうか。