恋は眠ることのように




星原ヒカルが僕に気を許してくれるようになるまで数か月の時間を要した。
数か月の時間と言うと少し誤解があるかもしれない。ヒカルは初めて会ったときからあんまり大袈裟な感情の起伏を見せなかったから、もしかするとずっと前から僕らは気を許し合った仲だと感じていてくれたのかもしれない。 アラタみたいに力いっぱい好意をぶつけてくれるというだけが、気を許してくれたという証明になるわけではないのかも。 ポーカーフェイスの彼と毎日過ごしてきて、彼なりの気遣いや周りとの距離の取り方が分かってきたような気がする。
「ヒカルって、猫みたいなんだよなぁ。ウチの近所に居た野良猫と似てる」
アラタがそんなことを言った場面があった。ヒカルはふざけるななんて怒ったけど、心の中じゃ僕もアラタに同意していた(もしかするとハルキも)。
猫みたいにつんと澄ましていて、気まぐれで、髪は尻尾みたいだった。馴れてくれない野良猫みたいなヒカルが、だからまさかこうして人に構いたがる部分があるなんて、思ってもいなかった。

なんだか最近、ヒカルは四六時中僕の傍に居る。


「サクヤ」「サクヤ、サクヤ」
「はいはい、なんだよ今度は」
「喉が渇いた」

ふぅー、と思わず長い溜息が出てしまう。だけどそんなことをヒカルは気にも留めない。

「自分の部屋に帰って飲めば」
「この前もらった麦茶が旨かった」
「あれはただの市販の鳩麦茶だよ」

今度は無言で訴えかける作戦をとってきた。猫みたいな甘えた顔をするわけではない。目つきの鋭いヒカルにこうも見つめられると、まるで脅されているみたいでなんだかなぁという気分。
だけど僕は満更でもなかった。頼られる事はどんなに些細なことでも嫌いじゃない。プレイヤーのLBXのメンテなんかを小まめにしなくちゃならないメカニックの性分なのかな。
・・・だからといって、プレイヤー本人の面倒を甲斐甲斐しく見る義理まではないんだけどね。

「分かった分かった、緑の蓋のボトルに入ってるよ」
「入れてくれないのか」

何言ってるんだと思ってヒカルを見ると、王子様然とした態度(と顔)で僕を真っ直ぐ見ているじゃないか。

「はいはい」

仕方なく読み途中のLBXマガジンを置いて、最近ヒカルばっか使っている僕のブルーのコップにお茶を注ぐ。なんだかんだで弱いんだ、僕はヒカルに。

「ありがとう」

声は嬉しそうじゃないけど、顔は嬉しそうだよ。ヒカルのポーカーフェイスが緩む瞬間が、実はちょっと好きだった。

「ねえ、なんでさ、最近僕のところに入り浸ってるの」

雑誌を再び開く前に、なんとなく気になっていたことを聞いてみた。お茶を飲み干したヒカルは顎に手を置いて少し視線を逸らした。

「サクヤの傍は落ち着くっていうだけだ。アラタはやかましいし、ハルキだとくつろげない」
「くつろげない、って」

ハルキに申し訳ないけれど思わず笑ってしまった。ヒカルが言うと冗談だか本気だか分からない。でもヒカルの口元が少し笑っていて、まぁいいか、という気分になる。
今度こそ雑誌を読み直そうとベットに腰かけると、ヒカルがふらりと椅子から立ち上がって近づいてきた。帰るのかな?なんて思ってたら、そのまま僕の隣にそっと座った。ベットのきしむ音がした。
さっきまで読んでいた箇所を探して視線を彷徨わせていると、雑誌の下、視界にヒカルの黄色い髪が落ちてきた。あろうことか、ヒカルは無遠慮に僕の膝に自分の頭を乗せて、つまり膝枕??・・・雑誌を取り落した。ヒカルに直撃する。痛いな。なんて言ってるけどちょっとまって何してるの?

「昼寝」
「え、ちょっと待って、意味が分からないんだけど!」
「だから昼寝だって」

そういうと、ヒカルは長い睫毛の瞳をゆっくりと閉じた。頭の重みと体温が僕の太ももをジャージ越しに撫でる。膝枕ってこう、男同士でやるもんじゃないよね?あれ、いいんだっけ?と僕の脳内がパニックを起こしているというのに、当のヒカルは起きようとする気配すらない。
だけどその穏やかすぎる顔を見ていたら、もうなんでもいいか、と思ってしまう僕は、なんというかもういかれちゃってるね。

「まったくもう、数か月前の僕がこんな光景見たら腰抜かすよ」

ヒカルの頭が落ちないように、床の雑誌をそっと拾う。ハルキが帰ってきたらどうしよう。ちょっと心臓がヒヤッとした。アラタと訓練でも行ってるのだろうか。できたら、遅く帰ってきて欲しい。
多分ヒカルは僕が足の痺れを訴えても、重くは無いけど重いっていっても、ここからどいてくれないだろうな。
この予想はきっと当たることになるだろう。なんだかヒカルの事を随分理解しているような気になってしまって、少し不思議で、少し幸せな気持ちになった。






title:落日