ふねのこどもたち
海上から届く音は、訓練の笛の音であったり、かもめの鳴き声だったり、誰かの汽笛、それから、波の音。 六月の横須賀には湿った風が吹いている。出撃の無い平日日中は、街ごと静かだ。 横須賀鎮守府所属の艦娘たちは、遠征に行った者以外は大抵が訓練に明け暮れていた。 ように見えたが、明け暮れていない者が砂浜に2名、座り込んでいた。城を築いていた。貝を集めていた。 しかしそれは、二人のうちの一人だけが。しばらくし、デコレーションケーキのような城に貝殻のトッピングを終え、 やっと一人遊びに飽きた駆逐艦・陽炎が、只座って波間を見詰めていた相方に漸く声を掛けた。 「不知火、大丈夫そう?」 「・・・再三言いますが、不知火は最初から問題ないわ」 不知火がポニーテールをなびかせながらそっぽを向く。陽炎は、そんなつれない仕草に困った顔ひとつせずに、不知火の右腕に絡みつく。 「強がんなくても良いのよー。不知火はほんとに自分に厳しいんだもの。仕方ない子ねぇ」 海上でほんの少し立ちくらみを起こした不知火を曳航し、浜辺にて無理やり休ませたのだった。 大丈夫だ、と繰り返す不知火の言葉を「そうは言ってもね」と遮る。 「季節の変わり目よ。体調の管理もだけど、艤装だって温度湿度の違いで微妙な動作の違い、あるでしょうに」 普段からあっけらかんとした性格の陽炎がこのまでくどくど言うなど珍しい。不知火は相変わらずの無表情で、 「あなたがそんな風に言うの、珍しいわね」 と返し、それ以上反論も、立ち上がることもせずにまた海の方を向く。 「なぁに。普段マジメにやってないってことー?」 すかさず陽炎が掴んだ不知火の腕をぶんぶんと振りながら喚く。 「いえ。陽炎は優等生よ」 「あっ、アンタがそれを言う?イヤミねぇ」 つんとすました横顔に向かって舌を出す。それから二人は、見つめ合って笑った。 うーん、と伸びをしてから陽炎が仰向けになる。不知火がすかさずはしたないわ、とでも言うような視線を送る。 太陽がさんさんと光を零していた。陽炎が一呼吸してから口を開く。 「ふつーの女の子ならさあ」 小首を傾げる不知火をちらりと見上げる。 「こんな良いお天気の日は、何すんのかな」 ぽつんと間を置いて、ため息混じりに不知火が返答する。 「学校で授業を受けるのでしょう」 「そ、そりゃそうだけど。そうじゃなくて!・・・学校抜け出してさあ。アイス食べながら歩き回ったり、しょうもないこと喋って」 指折り、口を尖らせ、つらつら語る陽炎の姿を不知火がじっと見つめる。 「それからさ、別々の家に帰って、そんでメールで続き喋ったり、遅刻したり、サボったりしながらふつーの授業受けて・・・ふつーに、ただの友達だったかな、アタシたちは」 寝転がったまま、青空を真上に見ている。 「不満なのですか?今とどう違うと言うの。不知火には分かりかねるわ」 不知火の憮然とした顔に気づいた陽炎が慌てて弁明する。 「別に不満は無いわよ!あっ、後はさ、お化粧したりとか。ね?どお?」 暫し思案し、不知火がある結論に到達して何度目かの呆れ顔をする。 「昨日の、黒潮が持っていた雑誌を読んだのね」 「あ、バレた」 いたずらっぽく笑う陽炎に、不知火がゆっくりと顔を近付けて言った。 「そのお話だけど、あえて別々の家に帰る必要、あるのかしら」 問い詰めるような十センチメートル。風景は二人を切り取るような波と空の世界。その距離を縮めるかのように、陽炎は半身をもたげた。 「うーん、そうね、無い。やだ。取り消す」 そこで不知火が満足げにほくそ笑みながら顔を離す。 「良いわ」 「あ、ドヤ顔だ」 「そんな顔しないわ」 「した」 「しません」 少し微笑んで、交差した視線がゆっくりと離れる。 そろそろ動こっか。陽炎が仰向けの状態から脚を宙に投げ出し、その反動でひょいと起き上がった。 「不知火も元気になったし」 「元々問題無かったと言っていますが」 「はいはい、続きは海の上で」 ひらひらと手を振って海上へ駆ける陽炎に、渋々と返事をして不知火がついて行く。 訓練の笛の音の中に、かもめの鳴き声の中に、誰かの汽笛の中に、波の中に、入っていく。 南風。波は穏やか。魚が跳ねた。遠くには船影。二人は軽々と、水面を快走する。 「あたしたち、やっぱし人間の子じゃなくて船の子供なんだよね」 「何を今更。だから、何か不満なの」 波を駆け抜ける人ならざる少女達の姿がそこにはあった。“わたしの幸せってなんだろう”それは世の中の女性がいつか辿り着くテーマであったが、 艦娘達も心の水底では同様にそれを求める。生活の最中や、戦火の狭間で。 「ね。不知火。ちょっとたんま」 陽炎、続いて不知火が止まる。 モーター音が落ち着き、波紋が小さくなる。接触する。唇と唇が優しく衝突する。 「船は、こんなこと、しない?」 くしゃりと破顔する陽炎を優しく見詰め、 「人間だってしないわ。ただの、ふつーの友人ならばね」 不知火が囁いた。 「あ、やっぱしさっきのあたしの話、気にしてるじゃない!」 ふつーの友人ならば、という部分に過剰に反応した陽炎が、パシャパシャとその場で暴れて飛沫を立てる。すかさず不知火が反論した。 「気にしていません」 「してるね」 「してません」 「不知火ってばあたしのこと大好きね」 「それは・・・お互い様でしょう」 きらきらと微笑む水とあなたに寄り添った。わたしの幸せ、というものをここに感じていられるような気がして、 船の心のままで愛せるように感じて、手を取り合って、誓いみたいにキスをする。 |