いちご




  「武藤」

 呼びかけられる。振り返る。頭が軽い。目を丸くした隆一郎が、廊下の反対側に立っていた。

「髪、切ったのか」

 上ずった声は言外に驚きを含ませて穿たれる。会う人会う人みんなにびっくりされるのはまぁ良いとして、よりによってキミがそんな風に。 言いたいことが分かるって嬉しくもあるけれど、なんだか時に腹が立つ。

「そ。風子さんに切ってもらった」
「なんだよ、あんなに伸ばしてたのに、飽きたのか」
「・・・そんなところだよ」

 言いながら、廊下をのしのし歩いて近づいてくる。月もきれいな午後7時。食堂に向かう道すがら。

「なあ、失恋したら髪切るんだって、知ってるか」

 いつの価値観で僕を図ってるんだよ。思いながら隣に並んでにやにや笑う男を睨む。

「何が言いたいんだよ・・・そんな訳ないでしょう」

 眉間にぐっと力が入った。瀬方がへらっと大口を開けて笑った。

「冗談だよ、怒るなってサトシクン」
「ふん、面白がりたいだけだろ本当は」

 橙の瞳はやはり笑ったまま。そういえば、僕の方がこれで髪短くなったのか。

「隆の方が髪、長くなったんだ。僕が切ったから」

 ん?と自分の後ろ髪を摘まんで不思議そうな顔をした。表情がよく変わる。・・・大きい声で笑う。一生懸命練習をする。強い自信。砂木沼さんを尊敬している。 園のみんなを大切にしている。元気がない時すぐに気が付いてくれる。

 好きか嫌いかと聞かれたら大好きで、言うか言わないかと聞かれたら絶対に言わない。隆一郎を独り占めしたいとか、そういう類の欲求。絶対に言わない。

「フットボールフロンティア、やっと僕スタメン入りですから。気合だよ気合。今日だけで10回は同じセリフ言ったな」

 絶対に言わない。




「おそーーい!」

 食堂に着くなりマキの叫び声。

「ヒッショーキガンにケーキあるって言ったじゃん!早く食べたいんだから早く来てよ、もう!」
「はあ〜?言われてねえよ」
「言った!諭に言った!」
「あ、隆に伝えるんだったっけ、忘れてた」

 もう!!机をこぶしで叩きガタガタ揺らすマキを、後ろを通り掛かった玲名が注意した。

「こらマキ、机を叩かない」
「だあってー!」

 子犬が吠えるように反論をきゃんきゃんとやり、それを諫められて頬を膨らませる。隆はそれを眺めて、しょうがねえヤツ、と笑った。とても優しく笑った。




 赤い実がのっかったショートケーキを切り分けて、その三角形を見つめながらマキが零した。

「・・・マキも出たかったな、試合。ガイアブレイクせっかく練習したのに」
「大丈夫だって、勝ち進んでおくから、次までにレベルアップしておけよ」

 いちごにフォークを突き刺す。フォークがいちごに沈んでいく。柔らかくも固くもない、貫かれるがままになるいちごの実。

(・・・恋だ)

 口に含むと甘くて酸っぱい。形を失っていく。噛まれるがまま消えていく。

 ガラスに映った自分をふと横眼で見たとき、嘘みたいに幸せそうに微笑んでいてびっくりした。さっきまで隆一郎と話していた。そして後姿を見送っていた。 長い髪を垂らした僕の幸福そうな横顔は、まるで恋する乙女みたいで、これが自分だなんて信じられなかった。 どんな自分でいたいのか。どういう風に見られたいのか。プレイも見た目もそういうことを気にして作っていたけれど、まさかこんなことってあるだろうか。

 風子さん。髪の毛切ってよ。お願い。あらいいの、伸ばしていたんでしょ。伸ばすのやめたからいいんだよ。

「そうだよマキちゃん。ほら、ケーキ食べよ、必勝祈願なんでしょ」

 僕の分はとっくに食べきっていた。隆とマキちゃんは僕の言葉に素直に返事をし、揃ってフォークを突き立てた。