チョコレイトフェイズ





PHASE1

「チョコ入ってた」
「まじスか」

帝国学園サッカー部、更衣室の朝はそんなに騒がしいものでもない。 一般的な男子中学生が心を躍らせるバレンタインデー当日だからといって、朝の雰囲気はそう変わらないものであった。 男子更衣室のロッカーに、愛のチョコレートがお届けされていたとしても。 寺門は有名店の包みを着た甘いお菓子を手に、ぽとりと呟く。隣で着替えていた成神が、それに特にすごいと思っていなさそうな口ぶりで相槌を打つ。

「まあ、俺のハニーからなんですけどね」
「あっはい」

・・・成神の素っ気なさは、決して先輩を蔑にしての態度ではない。寺門先輩のお惚気に飽きてしまったがそれを悟られないようにする最低値ギリギリの態度であった。 トレードマークのヘッドホンをちゃんと外していたというところからそれが見て取れた。
去年の暮だか、今年の初めだか、とにかくこの前の冬休みを明けてからであった。寺門とそのハニーこと咲山の様子がおかしくなってしまったのは。 つまり、デキてしまったということだ。男子サッカー部内でのカップル成立。 これには転校した鬼堂も引退した恵那も仰天してしまい、わざわざサッカー場まで様子を見に来てしまう始末だった。

「はぁ〜、直接渡してこねぇとことかまじ可愛いよな?頑張って早起きしてくれたんだなアイツ」
「そッスね。咲山先輩朝ニガテですもんね」
「なんだよな。それがこうだぜ?」

照れくさそうに鼻の頭を指で掻いて、寺門は笑ってチョコを指した。厳つい顔にこんなにも似つかわしくない表情が他にあるとは、誰だって考えつかないだろう。
寺門と成神はユニフォームへの着替えを終え、連れだって更衣室を出た。朝練習の始まりまでもう少し時間はあるが、冬場は特に皆準備運動に余念がない。 サッカーグラウンドに差し掛かった時、寺門は咲山を、成神は同学年の洞面の姿を見つけて駆けだした。 が、隣に歩いていたためか走り出すタイミングが思い切り被ってしまった。互いの脚がもつれて転びかける。しかし寺門が体勢をすぐに整えた。 そのまま寺門は転びそうになった成神の手首を掴み、立たせてやった。

「びっくりしたー。ありがとうございましたっ」
「オウ、危なかったな。悪かった」

そのタイミングこそが、悪かった。咲山が寺門の姿を認めたのは、寺門が成神の手を掴んで笑い合っているシーンの最中であった。
咲山修二は、嫉妬深い。

「・・・オイ、寺門、なんで成神と・・・」「おおっ!咲山、チョコサンキューな!」

対照的な声のテンションでバカップルの声が朝のグラウンドに響く。後はそう、その場にいたサッカー部員誰もが思った通り。

「よくも俺の事たぶらかしてくれやがったな、アァ? テメーとなんざ付き合ってられねぇよボケ!俺の前から消えろ!」
「ちがっ・・・咲山誤解だ、違う!というかこン位浮気でもなんでもねーよ! ちょっ、咲山!さきやまぁああー!」




PHASE2

俺は成神。成神健也。帝国学園1年サッカー部、ミッドフィルダ―。ただ今、先輩の修羅場に巻き込まれ中です。まじイカれてる。

「だから、見てたろ?俺が成神とぶっかって、転びそうになったけどなんとかなって、でけぇ俺に突き飛ばされて今にも転びそうな小っちゃい成神を助けたんだって」
「ちょっと寺門センパイ、小っちゃいとか余計だし日本語おかしーッス」
「知るかよ、ンなところ見てないっつの。それがマジだとしても、なんでお前は成神の手を何時までも握ってニヤニヤしてるんだよ!」
「ニヤニヤなんてしてねぇよ!俺が今日ニヤニヤしたのは、オマエからもらったチョコ見た時だけだよ!」

先輩達の関係が危うくなるかと心配して立ち会ってやったというのに、この置いてけぼり感は一体何なのだろう。なんというか時間のムダだ。 だって最早痴話喧嘩の域だもの。修羅場とか、ホントに修羅場に見舞われている人にまじ失礼だったわ。ごめんなさい。

「ねーもう朝練潰して言い合う内容じゃないッスよ、最早」
「ウルセーな成神、誰のせいでこんなことになってると思ってんだよ。落とし前付けてもらうからな後で」

マスクのセンパイがぎらぎらした目で睨んでくる。とんだ先輩だ本当に。これでツンデレ成りそこないみたいな属性もっているんだから手に負えない。 どうせ朝の様子喋ったら一気に赤くなってこの人たちの夫婦漫才なんか終わるし。

「はぁ、咲山先輩、この人まじで先輩からのチョコ見てでれっでれでしたよ。朝ニガテなのにこんなに頑張ってくれて嬉しいって言ってたし」
「うぉっ!ちょ、ちょい成神!」
「それにね、俺の事助けてくれただけなのはホントだし、あの時も咲山先輩のこと見つけて急いで走り出したから転びそうになってたんスよこの人」
「成神!成神ー!」
「どぉ?全然喧嘩する意味ないッスよね?早く朝練戻りましょ」

それだけ言って、とりあえず部室を後にした。 きっと背後でドアが閉まったその瞬間、なんとも言えない雰囲気に二人してなって、そんで咲山さんが照れながら謝って、寺門さんがそれを抱きしめて、 あと5分もすれば仲良く部室から出てくるンだろう。なんてアホらしいんだ。なんてアホらしいんだろう!




PHASE3

どうしよう、またやっちまった。オレの暴走癖は今に始まったことでは無いが(勿論フィールド上でも)そろそろ寺門に引かれやしないかと心配だ。 朝練は成神のヤローの要らん気ィ回しでなんともなく終わったけれど、折角のこういうイベント事の日が始終あんなじゃあ、寺門にも悪いし、オレも・・・。 そこまで考えて、ごちゃごちゃを逃がすように頭を思いっきり振ってみた。クソ、どうも今年に入ってからどうもらしくないことばかりしている!

(・・・寺門、ホントは怒ってねェだろうな)

身震いした。試合で体格差のある相手に突っ込んでいく直前みたいな気持ちだ。体格差、寺門もかなりでかい。 なんだかんだ言ってこの身長差のように、寺門の優しさにオレは飲み込まれているのだ。包みこまれて。・・・初めて抱きしめられた時の事がつい浮かんだ。 もうちょっと、ちゃんと寺門を見なくては。見ているだけじゃなくて、なんというか、分かろうとしなけりゃならないんだ。

「大貴、」

遠くで1時間目開始のチャイムが鳴った。どうにも数学の気分になれなくて、オレは部室の裏手にそのまましゃがみ込んだ。




PHASE4

「アレ」

1限が終わり、咲山の教室を覗きに行く。が、そこに奴の姿は無かった。終業の合図もそこそこに飛び出してきたから、咲山のクラスもまだ誰も外に出ていない雰囲気だというのに。

(っかしーな、まさかアイツサボりか?)

どうしようもねーな。まぁそんな自由奔放な所もイイけどな。どうせ部室の方だろう。または体育倉庫の辺りか。アイツの事を見続けて、もう2年目なのだ。これくらい分かる。


「おぉ、やっぱり居たな。咲山」
「・・・寺門」
「もう仲直りは終わっただろ?こんな所でショボくれてねぇで、ちゃんと授業受けろや」

体育座りの咲山は部室の裏手に居た。コートとマフラーに埋もれていたが、少しずれたマスクの下に僅かに見える鼻が赤い。

「寒いだろ。全く何してんだよ」
「別に」

咲山がマスクを上げ直して、体育座りの膝に頭を埋める。頭をぽんぽんと撫でてやると、面白いくらいにビクリと体が跳ねた。

「なぁ、ホントに今朝の事もう怒ってねぇの」
「当たり前だろ?お前の暴走っぷりも公私合わせて好きなんだよ」
「こーし?」
「サッカーでも、付き合っている上でも」

今度は耳が赤くなった。ゆっくりと咲山が顔を上げる。振り向いて見せた右目が少し潤んでいた気もするが、勿論ここは見ないふりというやつだ。

「フン、寺門なんてデコが寒そうだデコが」
「ンなっ、辺見のヤローと一緒にすんなや」

ふっ、と目を細めて笑った咲山のマスクを、隙ありとばかりに外す。驚いてぽかんと空いたその唇をそっと奪う。

「あっ、おい・・・・・・・・・・・・おい、なんでチョコの味が」
「さっき食った。美味かった」

居心地悪そうに咲山が俯く。何もかもが俺のツボだ。咲山め。・・・あっ、そうだわ。

「悪ぃ、二人きりのときは修二だっけ? どうも慣れないわ恐れ多くて」
「馬鹿大貴」

朱い顔を隠すようにマスクを直しながら修二がぽつりと呟く。可愛い奴め。 チョコの箱を差し出して口を開けて待つと、少し震えた指がチョコを運んできた。 微かに2時間目開始のチャイムが鳴った。世界史より大切な時間があるというのに、ここで立ち上がるのは野暮というものだ。甘いチョコレートの味が口一杯に広がった。