地獄の朝





毎晩日付を越したころに雷が鳴る、このところ。あなたはそれを知る由もない。ここに居ないから。
いやな夢を見そうな予感の中で浮遊し続けている。羊を数えることもままならない。真綿で首を絞めるような、言い知れない不安に第六感が犯されていた。
雷が地獄の門を叩く、雷が地獄の門を叩いている。

居間の方で3時間タイマーをかけた扇風機が静止する音がした。ごろんごろんごろん、それから雷と激しい雨の音。
指先をぴくりと動かすことさえ億劫で、縛り付けられたように動けない。それなのに眠ることができない。
暗闇に一人浮遊する、暗闇に一人浮遊し続けている。


明朝、雨水で湿った風に気が付く。眠ってたんだか眠ってないんだかわからない。さっきまで違う世界に居たみたいに。冷たい風はどこか清潔だった。
体の疲れはとれている。だからスニーカーに足をねじ込んで、大人しく朝練習に向かう。
天国の澄んだ風に声帯が洗われる。あなたに会って、あなたに会ってその気持ちを知って、それからこの天国と地獄の狭間から抜け出すことができるだろう。
今日、遠い時空のフランスから霧野センパイが帰ってくる。何から話せばいいだろう、何から聞けばいいだろう。それから、ここから、どこへ向かうことが出来るのだろうか。




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朝の街にそっとスニーカーを歩ませた。珍しく早起きをした日は、朝の静けさやにおいが特別に感じる。
思っていたよりもその静寂は耳に痛くて痛くて、まるで人の声みたいに聞こえた。
・・・狩屋、と呼ぶ声、あなたの声。
「狩屋」
あれ?クソ、幻聴じゃねーや。微笑んじゃってるあなたの細めた目が銃弾みたいにオレを撃つ。
「霧野センパイ・・・何してんスかこんな朝っぱらから」
「お前も」


よあけのこども



自動販売機でセンパイにジュースを買ってもらってしまった。財布も持たずに朝方ただ歩いていただけのオレと違い、霧野センパイは朝のランニング中。水分補給のためにとちゃんと小銭を持ち歩いていた。

「いつも走ってんすか」
「んー・・・最近始めたんだ」

汗の丸い滴が首筋に垂れた、やべ。見ちゃいけないものみたいな気分。センジョーテキ?とか言って。まぁつまり、どきっとしてしまう俺が一番やばいのだ。

「・・・からな」
「えっ?!す、すいませんなにもー1回」

完全に聞いていなかった。汗に見とれて話聞いてないとかキモイことこの上ない。溜息を吐きながらセンパイが言い直す。
「・・・優秀な後輩DFが入ってきちゃったからな」
少し笑いながら、ちらりとみどりの瞳が向けられる。
「あっああ〜、ハイハイ、せいぜい頑張ってくださいよー」

慌てて吐いた言葉は自分で言うのもなんだけどひっでえ。ああああもおおちげえよお!

「調子ノンな」
「いって」
はたかれる。思わず笑う。静かな公園に二人の声が小さく響く。



「なんか鳥とか鳴きますよね」
「は?」

公園を出て小さい声でなんとなく話を振る。住宅街の朝は暗い。

「いやね、朝まで起きてたりするとだんだん空が明るくなるでしょう」
「うん」

何を言いたいというわけでもないのに喋っている、でもそんなの関係なく話を聞いてくれちゃうセンパイ。

「で、鳥の声とかして、そうすると、夜の次が朝なんだなーってがくぜんとしちゃって」
「愕然としちゃうかー」
(なにその反応笑うなランマルちゃんめ)「だから今日なんか外でてきちゃって」

吹きだして小さく笑う、その顔を見ているとこっちの頬まで緩んでしまう。だからちょっと悪態をついて誤魔化してしまうのだ、いつも、今日も。

「先輩に見つかるとかマジないなー」
「おまえそのお茶返してもらおうか」
「もー じょーだんです」



とんとん、とスニーカーのつま先を鳴らしながら、霧野センパイがにやっと笑う。

「走るだろ?」
「は?」
「せっかく起きたんだから運動部らしくあれしようぜ」

何言ってんの、この人さっきも走ったって言ったのにまだ走んの、っていうかオレは、
「え、まってオレこんな朝っぱらから走りたくない」

無言で走り出すセンパイに手をつかまれる。繋ぐなんて優しいもんじゃなく引っ張られて痛い。はしゃぐ横顔が、なんとも楽しそうに笑っていた。

(・・・これ見るために今日、朝が来たんだなあ)

角を曲がると朝日が馬鹿みたいに両手を広げていた。
胸の中からどくどくと血液が回る。一日の始まりをぐいぐいと実感した。体が目覚めていく感覚。静かな空気の中を走る足音。霧野センパイと一緒に。んふふ、嬉しくて笑いがこみ上げてくる。
「なに狩屋もう息切れかよ」
「ちがいますー!」
今日は何かいつもと違うことが起きそうな、というかもう起きてるけど、とにかく今日はきっと特別な日になるに違いなかった。そんな日差しに街は輝いていた。




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夢で見たあの人について


夢の中で出会ってしまった。男の顔して女の体した、オレの先輩。霧野センパイ。
うちの制服じゃなくてセーラー服を着ていたって辺りが自己嫌悪をさらに増長させた一因だった。完全に、もう完全にアウトだ。マニアだ。
次の日に出会った霧野センパイは当たり前に男の格好をしていたし、着替えの時にこっそりみたけどおっぱ・・・お、胸、なんて全く膨らんでいなかった。
それなのに。夢を見た次の日からどうしてか霧野センパイを見るとなぜかどきどきしてしまうのだ。あの人は男!お・と・こ! 自分に一生懸命言い聞かせたというのに、夢で見た映像と現実で見た映像が絡み付いて頭から離れなくなってしまった。
もうおしまいだ、いくら女顔で面倒見がよくて髪がきれいでいい先輩だからって、これは無い。こればかりは超えてはいけない領域だ。
・・・なんてつらつら抜かしてきたけれど、結局最初からオレはあんたにハマっていたし大好きだって事実はもう変えられないしできたら男でいいから現実でもセンパイを抱きしめたい!