僕はどうしても分からなかった




大人

一番なりたくないものに僕はなってしまった。僕の体はあの人を想うのに大きすぎる。
憧れる気持ちを野放しにして、好きだと言って、実りの無い恋をするには遅すぎる。
子供が公園を駆け回るみたいに無心になって、中学生の時も高校生の時も結局風丸さんを追いかけまわしていたね。
きっと大人になったら臆病な気持ちを捨てなければならないと、そうだ、決めていた。
夜が広がっていく。七時にご飯を食べない。九時になんて寝ない。風丸さんも今夜この光源のどこかだろうか、だって彼はもう一年も大人なのだから。
戻ってこい、戻ってこい、そうしたら僕は今度こそ風丸さんに好きだというよ。
青青しい眩しさが完全に消える前に、戻っておいでよ、グラウンドのトラックを一周するみたいに。
星も、マンションの窓も、ネオンサインも、月、街灯、全ての灯りが僕には瞬いて見える。
空気の汚れのせいで星は瞬いて見えると聞いたことがある。それなら僕の見える全てが使い古されてしまったものだとでもいうのかしら。
大人になったから魔法は解けてしまった。広がっていく夜に?青色の空みたいな思い出に?
風丸さんは手を伸ばすだろうか、僕が差しのべた方へ。だとしても僕の腕は時間切れだ。僕の体は恋で出来ていたのだから。
特別に、なれるとおもっていた。あの人の特別に大切な存在になれると。


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バス停

風丸さんとの帰り道。陸上の区大会が終わって表彰式で風丸さんが賞状をもらった、そんな素敵な夕方。
会場は電車の通らない隣町の山の方にある中学校だった。初夏のむしむしした空気と運動した後のべとつく肌が不快だった。
雷門中が会場を出た最後の集団だったからか、最寄りのバス停には僕たちしか居なかった。
時刻表によると次のバスは15分後。みんな好き勝手ドリンクやお菓子を貪ったり、大声で話したり笑ったり。
国道沿いのバス停は静かだった。住宅街も中学校も全部長い階段の上にあったから。まるで落とし穴の中に居るみたいだった。
「バス来ないなぁ」
風丸さんが時計を見ながらぼやいた。僕はチャンスとばかりに傍へ寄って、そうですねと返事をした。
風丸さんの優しい眼差しを受けて、僕はバスの事などどうでも良くなった。ずっと来なければずっと一緒に待っていられるかな、なんて思ってしまった。
マッハ先輩が僕の同級生をからかって遊んでいる。部長はベンチでうたた寝している。日がどんどん落ちていく。落とし穴がどんどん窪んでいく。静かに。
「一番星が出てますよ」
指をさした先の金星に風丸さんの視線が行く。星は何て遠いんだろう。どんどん落ちていく。バスが来ない。バスは僕らの頭上を駆ける。滴のようにバス停が落ちていく。
「腹減ったな、宮坂。おまえんちも雷門のバスターミナルから遠いっけ?どっか寄らないか」
首を傾げて僕に尋ねる風丸さんの顔に、思わず僕の顔は、きっと大分緩んでいる。寄ります!と返事をすると、それが合図になったかのようにバスがカーブを曲がって滑り込んできた。


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タンポポの綿毛がそよ風の中飛べないでいた。ゆらゆらと傾くだけで綿毛はひとつも飛んで行かなかった。
小学校のクラスに置いてあったおまじないか何かの本に、一息で綿毛を全部飛ばすことができたら願いが叶うって書いてあった。
そんなことで願いが叶うのなら努力なんて何にも必要無いな、と今では笑ってしまう。だけど昔は一生懸命吹いていた。見かける度に茎から千切って。
なんだか可哀想な気がするけど、中学生の男子が道端に這いつくばってタンポポの綿毛を吹くなんて、とやっぱり茎を手折った。
思いっきり息を吸って、綿毛たちに一生懸命吹きつける。全部出し切ったけれど、1本だけ、1本だけ綿毛が残ってしまった。
(風丸さんが帰ってきますように)
それを茎ごと地面に放って、僕は朝練に行く道を急いだ。


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僕はどうしても分からなかった

僕はどうしても分からなかった。風丸さんをどうして好きなのかということを。僕はどうしても分からなかった。
風丸さんの姿に僕はずっと惹かれていた。引っ張られているかのように、磁石になったみたいに、僕は惹かれていた。
僕はどうしても分からなかった。風丸さんに憧れていることにどうして後ろめたさがあるのか。僕はどうしても分からなかった。

朝の光の中に風丸さんの姿は輝いた。おはようとよく通る声は小鳥の囀りよりも僕の耳に優しい響きだった。
昼の微睡みの中に風丸さんの姿を見つけた。僕の夢の中でも風丸さんはきれいに微笑んでくれた。
夕方の淋しい色の中を風丸さんが走り抜けた。髪が僕を呼んでいるみたいに上下した。
夜の気だるさの中に風丸さんの思い出があった。瞼の裏にも制服の袖にも鞄の底にも見つけることが出来る。

僕はどうしても分からなかった。風丸さんが大好きなのに。僕はどうしても分からなかった。
風丸さんとみんなの前で手を繋ぐことなんか絶対出来ないことなのに、僕はそれにどうしてか憧れてしまうのだ。
僕はどうしても分からなかった。何故風丸さんの事を考えて泣かなくてはならないのか。僕はどうしても分からなかった。