やさしい



風丸さんの枕元で、甘いアロマキャンドルが燃えています。僅かな所作に起こった風でゆらめく炎。知らない香りのピンク色の蝋。器は花模様の散るガラスです。蛍光灯の代わりに僕らを照らす、小さな炎です。

風丸さんと唇を触れ合わせ始めた頃、風丸さんが、人に言えない少女趣味をもっているのを知りました。
カントリー風のクロスが掛けられた本棚に、レースをあしらった自宅用の小物たち、ワンピースを身に着けた陶器の肌をもつ人形。
僕はショックでした。それと共に湧き上がる、ふつふつ、喜び。彼の秘密を知りました。内緒にしてくれという唇を奪えば、それが返事になりました。僕たちは、限りなく恋人同士に近い他人です。だけど彼を、風丸さんを本当に好きです。恋人のキスをしました。

風丸さんと僕の枕元、優しいパイル地、桃色の枕カバー。ゆらゆらと震えるこの世の光り。閉じられた秘密の世界。ピアノが欲しいと言っていた、早く大人になりたい。風丸さんのピアノを買いたい。

「おやすみなさい。風丸さん」

眠る前のキス。人差し指だけで押さえる白鍵の音です。

「おやすみ、宮坂」

離した唇で炎を吹き消した風丸さん、あとは体温が溶けて、一緒に、なる、まで。



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これから



あ、園にもおんなじのあったかも。水玉模様のマグカップ。ダイソーのやつだ。それにティーパックとお湯が注がれる。霧野センパイの部屋に紅茶の香りが漂う。

「紅茶とか、オッシャレっすね」
「ああ、神童が好きだからなんか、うつったかも」

しれっと神童先輩の名前を出すあたり、なんというのだろう。元カレ(カノ?)話とか気にしないのかな。別に先輩たちが付き合ってたということではないらしい、けど、気になる。

「ほーんと神童先輩のこと大好きっすね、霧野センパイは」

マグカップを持ち上げ、口を付ける。神童先輩の真似するんだったら、コジンマリしたティーポットとかティーカップとかの方がイメージ合うじゃん?・・・なんてことは、言わない。

「神童は、なんというか・・・特別?なのかな」
「無神経なセンパイ。オレは霧野センパイが一番特別だったつもりですケド」

恥ずかしげもなくこんなこと言えるようになったのだって最近。こうしてお泊りさせてもらうのなんてまだ2回目。
だけど、だからって、順番や期間で決まるわけじゃない。その、好きだなんだというものは。
熱いマグカップをそっと下して、ごめんな、と余裕そうに微笑むセンパイ。負けたみたいで悔しいから、注いでもらったばかりの紅茶を熱かったけど全部飲み干して、両頬引っ掴んで、ついにやってしまった。ついにキスしてしまった。

「こっここここんなことだって、センパイ以外にする気無いしっ」

心臓がどくどく打つわ笑い出しそうになるわ、センパイはきょとんとしているわ。そのうち頬が上気してくる。

「ふふ、狩屋お前顔真っ赤だぞ」
「熱いの飲んだからですよ!もういいですごちそうさまですおやすみなさい!」

借り物のブランケットに身を包んで逃げる。布越しに霧野センパイがしがみ付いてくる。

「もうおやすみか?早寝なんだなぁ」

頭に来たからブランケットに先輩の体を巻き込んでみたら、距離がさらに縮まってしまった。そこから先は、夢かもしれないし本当かもしれない。



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どこにも




昨日彼女が遠くへ行ってしまう夢を見た。夢というかそれは、予感だったのかもしれない。突然現れた時のように、突然消えてしまうかもしれない。
「私ね、黄名子ちゃん」
ゆるやかに上下する胸の真ん中に手を置く。どくん、どくん、どくん・・・心音が届く。柔らかな、弱弱しい皮膚の下に心臓があるってこと、どうしてか不思議に思う。この子が陶器の人形だと錯覚していたから。
「黄名子ちゃんと離れるのいやだよ」 静かな室内に私の声が滑っていく。遠くへ消えた。
いつか来るかもしれない、すぐには来ないかもしれない、だけど確かに来るであろう、私たちのお別れを意識する。顔を合わせて話さなければ、それは永遠の別れなのだとこの時私は思っていた。
私はあなたが好き、とても好き。大好き。「・・・おやすみ」




「どこにも、行かないよ」
青く健康な髪の毛を撫でると葵は寝返りを打った。それを確認してから、もう一度眠りにつくことにした。
「おやすみ・・・」あなたが居てくれるなら、どこにも行かないよ。



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おやすみ



午睡から醒めたらおやつの時間。幼いころの習慣だ。それはすっかり染みついてしまって、講義中の居眠りや間食が止められない
(就職するまでには直さなきゃなァ)
微睡みの中で何度決心したことだろう。それが守られたことは終ぞ無い。
あと1cmの落下のイメージで、完全に意識は手放される、というときだった。右ポケットの携帯電話が震えた。はっとしてフリップを開く。緊急のことかと焦り眠気が吹き飛ぶ、が。
画面には皇マキの名前が表示される。確実に緊急でもなんでもない。開いたメールには案の定、今日はケーキバイキングの写真が添付されていた。
僕はね、マキちゃん。きみのそーいう呑気なところが、恋人の隆と一斉送信のメールくれちゃうところが、離れて暮らす僕にこまめに連絡よこすところとか本当に本当に・・・大好きだよ。
ふぅ、とため息を吐くと眠気が戻ってきてしまった。きらきらと動き回る絵文字、懐かしい気持ちと共にマキちゃんの笑顔が横切る、安心する。なんともないよ、僕は君の笑顔に傷つかなくなった。
腕枕で机に臥す。おやすみ、僕の初恋よ。