なめらかな熱




このところ、僕の待ったを聞かずに彼は唇を押し付けてくる。酸素を全て奪い尽くされそうな灼熱の中、熱病に罹った彼の頬の中、この愛に答えは無く、ただあなたの思うがままに、僕はとろけていくだけだった。
彼の唾液がどろどろの金属、僕を内側からひずめていくの。泣きそうになると呼吸がし難くなるから、これはもう本当に死んでしまうのかもしれないぞと縮み上がるときもある。…終わったあとに涙と唾液を拭ってくれるハンカチから風丸さんが香る。僕の大好きな風丸さん。
間違えが起きているのだということは理解していた。しかし不適切な有様であっても、それが許されないほど世界は狭くなかった。狭くは無かったが窮屈ではあった。僕たちの居場所は、学校とは得てして窮屈な世界だ。そういうわけで僕らは秘密を抱えざるを得なくなってしまった。
風丸さんと僕はキスをする。恋をし合っている。



時計が18時を示していた。風丸さんが選んでくれた丸いオレンジ。秒針が進む音がする。この音が毎晩僕を寝かしつけるのだ、風丸さんの時計の音が。
その風丸さんが壁を見上げながら言った。

「そろそろ帰る」

お休みの土曜日だというのに節度ある生活リズムを崩さない、風丸さんはまるで時計だ。

「ご飯食べてきませんか?」
「うん、また今度な」

あ、くるな。一瞬の沈黙のうちに悟る。くちびる。
以前のように躊躇いがちに「…いい?」と聞かれることは無くなった。少しそれが寂しい。
風丸さんが僕の頭を寄せて口付ける。何度も何度も。当たり前のようにしてくれる。だから当たり前のように受け取る。もちろん嬉しいけれど、もう特別なことではないのかな、と一度知ってしまった不安が時折顔を出す。

僕らは課せられた抑圧の分だけ、隠れた場所では存分に解放される。学校も屋外も窮屈だから、限られた空間で伸ばす羽。狭いこの僕の部屋。
唇の熱。口付けの熱。恋の熱。風丸さんが全部教えてくれた。1歳年上の彼がすることは、だからみんな肯定するべきものだった。
僕は風丸さんのものだから、喜んで一人占めをされよう。死にそうな程のキスをしよう。不安に苛まれていようと、苦しい瞬間があろうと、それでも僕の、心は風丸さんのものだから。

「……宮坂」
「なんですか、風丸さん」

離れた距離を僕から詰め直す。視界に入った時計の分針は、風丸さんが帰ると言ってから五分進んでいた。

「呼んだだけ」

そう微笑んでニ度目の帰る、を告げた。軽いキスを僕に与える。
部屋を出て、僕がその扉を閉めれば秘密の時間は終わりになる。扉の古い金具が鳴いた。僕たちの気持ちも、軋む程使い古されたものなのだろう。
ドアを閉めるような習慣のキス?鍵を掛けるような大切なキス?
返事をするように、階段の板がしなる音を風丸さんがたてた。



いいのにと拒む風丸さんの帰路を一緒に辿る。いいんですこれが僕の幸せだから。
辺りに人気が無いことを確認して、風丸さんの手をそっととる。ふふ、と笑って握り返された。
「風丸さん」
半歩先の先輩が、ん?と短い返事をして、茶色の目が僕を映した。


初めてのキスを覚えていますか?
キスしてください、僕から言ったんだ。風丸さんはそのとき顔を真っ赤にして、ぎこちなく唇を僕にくださいましたね。弱い力で繋いだ指が震えていた、きれいな夕方の帰り道。あの日のキスはもう戻って来ないけれど。あなたの戸惑いにくすりと笑ってみせることができなくなったけれど。
これから先何度でも思い出しては幸せな気持ちになるだろう。たくさんの口付けの度に新しいあなたを見たことの幸福と同じに。


「キスしてください」

微笑んだ風丸さんの顔がそのまま赤らんだ。つられて僕の頬も。そして思い知らされる、あなたが好き、あなたが大好き。
抱き締められたら眩暈がした。何十回目かの口付けの味も薄れたりしない幸せの。

(死にそうな程のキスをしよう。不安に苛まれていようと、苦しい瞬間があろうと、それでも僕の、心は風丸さんのものだから。)

なみだがすう、と一筋滑る。僕が信じる永遠を、彼に話して聞かせたい。



title by ギルティ