すなのしろ




ごめん、というか細い声、僕の大好きな澄んだ声。これからこの声が僕に囁くことは無いだろう。愛してるよ。愛している。遠い昔のことのよう、背中を向けた海がさざめくよう。もう一度聞いた。
ごめん、宮坂。別れようか。



思えば最初から彼の気持ちはあやふやだったのだ。僕があまりにしつこく一生懸命寄りかかったから、バランスを崩して転ぶ前に風丸さんは抱き留めてくれた。それは優しさだと思っていたけど、今考えてみればそこに彼の意志が本当にあったのか。疑問に囚われる。
風丸さんと恋をすることは本当に楽しかったし嬉しかった。一日中風丸さんのことを想っていた。生まれて初めて湧いた感情を必死に抱いて、守って、どきどきしたりそわそわしたり、明日が来るのを待ちきれなかったり。毎日頬を熱くした。毎日唇をとろかした。彼の体温が何よりも気持ち良かった。


「もう僕のこと嫌いですか」
「…元に戻ろうかってことだよ」
「好きになってくれないんですか」
「ごめんな、もう、おしまいにしよう、な」

この世の風景たちがスローモーションで襲い掛かってくる。僕が沈んでいく。手を伸ばしても掴んでくれず、かなしそうに風丸さんは僕を見送る。→イメージ。
あなたがみせた僕を幸せにしてくれる優しさが、今ガラガラ音をたてながら崩れていくよ。
それでも。

「それでも僕の気持ちは終わってないです。しつこいんです僕、ごめんなさい。でも風丸さんが好きです、ずっと変わってない。あなたが終わりにしたくたって、僕はそんなの認めたくない!」

まくしたてると風丸さんはうつむいた。言葉を選ぶように黙り込む。本当の気持ちじゃなくていいから、嘘の優しい言葉が欲しい。愛の偽物。風丸さんがもっていない愛は僕がみんな補って二人で同じ量にできる。風丸さん、大好き。



初めての待ち合わせは駅前の喫茶店。風丸さんはコーヒーが苦手だから紅茶を飲んでいた。
海に行ったときに繋いだ手。人気のない季節外れの海岸が秘密を守ってくれた夕刻。
風丸さんの部屋で初めてのキスをした。偶然に指が触れたのが合図だった。


(砂でできた城を崩すように形を残さないのです)。僕は手先があまり器用でないから、細かいところは風丸さんに頼って作った、あの海辺の砂城は暫く経ってさらさらと消えた。そういえば写真を撮ること忘れてしまった。写真にも映ってない、記憶にも残ってない、そんな些末なものまで集めたら思い出は一体どのくらいになるのかな。(それら一瞬一瞬の砂粒でできたお城でした、風丸さんと僕だけの)。


「俺は本当に宮坂が好きだったよ」
下を向いた唇が穏やかな声音で始めた。
「だけど、さ。一生このままで良いかと聞かれたら、違うじゃないか」
「何が、違うんですか」
「結婚でもしたいの」
「…ぼく、は」
「しないだろ」
とうとう風丸さんがこちらに背を向けて、帰ろうとする。
結婚?そんなこと今大事じゃないよ。今愛してるじゃダメなの?今が楽しいのにダメなの?法律なんかが大切なの?
僕は結婚しちゃいたい、なんて言えなかった。風丸さんが僕を好きでないのなら。


「我が侭みたいでごめんな」
優しい声はいつもの風丸さん。温かいふりして冷たい言葉。風丸さんのばか。あなたも、僕だって、我が侭だよ、いつも。
何も言い返せずにいたら、風丸さんはそのまま行ってしまった。取り残されて僕だけが立ち尽くす。抱き留めてくれていたあなたが居なくなってしまったら僕はもうここで砂粒みたいになるしかないよ。

物語の終わりを架空のお城にひとり腰掛けて眺めていた。砂粒の中のひとつ。
僕の我が侭はひとつだけ。あなたと一緒に居たかった。