first fuss




 夜は暗闇。新月、星だけが浮遊。目蓋が涙に溺れる23時の深呼吸。
 着いて来ようとしたフィリップ、ランスたちを置いて宿舎を出て、セントラルパークまでやって来た。ひとりになりたい気分だった。鬱々とした思いが渦巻いていてどうしようも無いのです。
 フットボールフロンティアインターナショナル。これからイギリスが決勝トーナメントに駒を進めるには、今の戦績では絶望的だった。わたしたちの誇り、わたしたちのサッカー。澱んだ胸に何度も夜の空気を詰めてみる。気分は晴れなかった。
 今夜は流れ星が見えると聞いていた、ライオコット島では。イギリスで見えるのと違う星座たちに先ほどから目を凝らしているのだが、チラリとも見られない。しかし確かに星はきれいだった。
(流れ星、か)
(…感傷的になりすぎだ)
 星見に飽きてそろ、と立ち上がる。ベンチに直に置いていた臀部をはたき、宿舎に帰ろうか、というそのときだった。
「エドガー・バルチナス」
 ただでさえよく通る声が、夜の空気に染み渡る。聞き覚えのある声、その主はやはり、
「テレス・トルーエ」
 彼を振り向くと、ひらりと手を上げられる。不敵な笑顔に、自分の眉間に皺が寄るのを感じる。彼の荒っぽい所をわたしはあまり好んでいなかった。


「何してんだ、こんなところで」
「…君こそ」
「…散歩だよ」
「ふん」

 帰り際だったのを思い出し、それではと踵を返す。すると思わぬものが手首を捕まえてきた。

「なんだこの手は」
「あ?あ、いや。あー…」

 睨み付けるとテレスはおろおろと視線をさ迷わせた。彼を知り尽くしているわけではない、が(君らしくもない)。右手にじわりと自分のと異なる体温が染みる。振り解いてしまうことも出来るが、彼の言い分くらいは聞いてみようと思う。

「ハッキリ言ったらどうなんだ」
「…流れ星だよ!」
「あ…」

 急に大声を出すな!と未遂。彼もか。

「どうせお前もそう、だろ?エドガー」
 わたしを掴んでいるのと反対の手のひらが、緑にうねる髪の頭を掻く。
「悪いか」
「いいや、悪くねえ。そうときたら一緒に見てやるよ」
「(見てやるよだと?)…君も暇人だな」
「お互い様だろうが、はは」

 夜の空気は澄んでいてやや、冷たい。テレスの体温を余計に感じる。離せと言うべきなのに言葉がどうしてか詰まる。この大きな手のひらは嫌いでは…ない、と思う。


「おい、見えないぞ!」
「わたしが知るか!」
 そうこうして10分もすると、最初のあれこれはどこへやら。同じ目的の為に座り合わせているのに黙り込んでいる手は無かった。気が付けば夢中になって濃紺に指を宛て、わたしたちは必死に流星を探していた。

「カッ!2人掛でこのザマか!使えねぇなナイツオブクイーンさんよお!」
「それを言うなら貴様もだろう、このジ・エンパイア!」

 大騒ぎに興じている時間など普段なら勿体無いと思う筈なのに、どうしてか苛つきも腹立ちもしない。辺りに人影は無く、余計に言いたい放題は加速する。…と、
「あ!」「おお!」
 空に星が走る。ひらりと駆けて途端に消える。同時にわたしとテレスの声が揃う。

「アルゼンチンを…」「イギリスに…」
「なんだ?」「んだよ!」

 はは、わたしが乾いた笑いを漏らすのと、テレスがぶは、と息を吐く、それまで同時だった。

「っふふ、どうぞお先に」
「いーやお前からだ」

 じりじりと視線がまぐわう。逸らしたのはテレスからだった。その目はまた夜空に向かった。釣られてわたしもそれを見る。しばしの沈黙、そしてまた空から落ちる。それはあっという間で、勢いで言うには「アルゼンチンに勝つ」は長すぎる。
 チラとテレス見遣る。横顔は空に夢中だった。薄く開いた唇、真っ直ぐの瞳。風がわたしたちの髪を洗っていく。テレスが逞しいその指を添え、毛束を押さえた。

(…こんなのに、見とれた、だと)
(認めて溜まるか)

 苦い気持ちに再び顔が引きつる。するとテレスがふいとわたしを振り向いてきた。

「…なんだよその顔」
「い、や別に」
「なあエドガー」

 隣同士に座るベンチ。顔と顔とを向き合わせるには些か距離が詰まりすぎている。後ずさろうとするも、端に座る自分に逃げ場は、無い。
 あの指がわたしを触れる。頬をなぞり顎を捉える。真っ直ぐな目が射抜く、近付く。なにを、なにをするんだ、こいつは
「エドガー、」
 間近の囁きを遠くに感じる。目蓋を下ろすと当然暗闇で、気配、それから唇に確かな感触を得て熱を帯びる。…キス。
 止めていた呼吸を呼び戻す頃にはテレスは離れていたから、目を開けて、思わず唇を噛む。テレスはそっぽを向いた。
「おい、テレス・トルーエ」「…へ、返事をしたらどうだ、おい」
 呼びかけるも彼は無言を貫く。肩を揺する。

「おい!どういうことだ!君に、こんな趣味が、あったなど…トルーエ!」
「あーあーうるせえよ!別に趣味じゃねえっつの、キスは初めてかよ女王の騎士様!」
「なっ…」
「オレァ男色趣味でもなけりゃキス魔でもねえ。お前が、」

 頭をがしがしとやる。テレスがぐるりとこちらを向く。再びこの距離。

「エドガーが好きなんだよ」
「は、はは…」
「チキショウ、言うつもり無かったんだぜ…気持ち悪くて悪かったよ、じゃーな」

 混乱する頭、立ち上がるテレス。本能。既視感。わたしはテレスの手首を捕まえていた。

「話すだけ話して行くというのか」
「…何だよ」
「わたしの返事を聞かないのか」

 見上げる。空気が一瞬つんと張る。ふと、テレスの後ろに流れ星を見る。

「わたしは君が、嫌いじゃ、ない」
「は?ははは!」

 言うとテレスは豪快に笑った。
「へそ曲がり!」
「うるさい!」


 キスは初めてか、再び聞かれたので、少し黙って、「挨拶なら、ある」。
「へええ、オンナにゃ良いお顔してるクセにな」
「なんだね、そういう君はどうなんだ」
 睨み上げるとテレスはニヤリと笑った。
「はじめて」

 なんとも馬鹿馬鹿しい、青臭い。だが今のわたしにはちょうど良い。
 テレスの無骨な手のひらがわたしを撫でた。無意識に尖った唇を、覗き込んできたテレスが啄んできたものだから、わたしは思わずローキックをした。こんな瞬間が、こんな彼が、好きというか、なんというか…好きというか、
 大好きだとわたしは思った。