わたしはゆめを嚥下した




 大袈裟すぎるかもしれないけれど、今年いちばんの衝撃だった。あれほど渋っていたサッカーを、東くんが突然始めた、だって。
 わたしがそれを知ったのは夏休みに入る2日前。東くんにではなく、秋ちゃんからそれを聞いた。わたしはただただ驚いた。
 わたしにとって東くんは男友達の中で一番仲の良いひとだった。会えば挨拶をする、時間があれば話をする、ノートを見せてあげる、たまに一緒に帰る。…あ、それだけ、だった、けど。
 よく考えてみると呼び方だって東くん、大谷さん。
 つくしちゃん、と呼んでくれる男の子ならたくさん居る。彼らのことを、わたしも下の名前で呼ぶ。
 だけどわたしの一番の仲良しは、東くんなの。どうしてそこが譲れないのか、自分でも訳がわからないんだけど、絶対に、一番は東くんなの。


 終業式を終えて、教室でホームルーム。起立と礼もおざなりに、運動部のみんなはわらわらと教室から飛び出していく。
 忘れ物が無いか確認をして、わたしはゆっくり出て行った。蝉が鳴いているなあ。今年の自由研究はどうしよう。

「…あっ」

 のろのろと歩いて下駄箱に着くと、そこには彼が居た。

「東くん!」
「おー、大谷さん」

 にこりと笑って手をひらひらさせる。随分前から見ていたその仕草、姿なのに、背中のサッカー用の荷物がかなりの違和感を与える。




「…サッカー部、前は断ってたのに。入ったの?」

 もう人影の殆ど無い下駄箱に、2人で座り込む。東くんに奢ってもらったイチゴ・オ・レのブリックパックに、ストローで穴を開けた。
 部活まだ行かなくていいの?と聞くと、昼休みだから大丈夫、と返される。
 弁当持ってきてないだろ、いいの?と聞かれたので、お話ししたかったから大丈夫、と答えた。

「うん。まぁ円堂の頼みだしな」
「でも前は断ってた」

 …やだな、なんだか刺々しくなってしまう。なんだかわたしらしくない。
 東くんは構わず、玉子焼きを黙々と口に運ぶ。

「んー…なんていうか…なんだろうなぁー」

 黙ってイチゴオレを飲み込む。冷たい、甘い。

「うーん、あれかな、モテたいからかな」
「…モテ?」
「うんうん、そう。」

 答えは、あまりに予想外。
 だってそんなの東くんらしくないよ?自分で自分のキャラ、分かってるの?

「キャラ?キャラっつーか…いや別にオレだってさあ」
…あらら、口に出していたみたい。
「うん、オレだってそろそろモテたいわけだよ」
「…ふうーん」

 なんだろうなあ、この気持ち。胸の中のぐずぐずとしたなにか、気持ち悪いなあって思いながら東くんの声を聞き流す。
「大谷さんの隠れファンって多いんだぜ、がんばーれ」


「じゃあ、オレ行くな」「あ、イチゴオレありがと」「んーん」
 ひらりと手を振り、東くんは駆けて行く。一度も振り返ることなく。
 小さくなる背中、振り返していた手を下げて思う。わたしは誰になりたいのかな。きみの、誰になりたいんだろう。

(サッカーに、なりたいのかなあ、わたし)

 ばかみたいな事をこっそりと。そういえばわたし、前は円堂くんになりたかったのよ。だって東くんと気兼ねなく喋れる。

 ほんとうにモテたいなんて思って始めたのか、全然わからない。誰にモテたいの?好きな人は居ないの?

 東くんと大谷さん。わたしがなりたかったのはそういうものじゃないのに、なあ。
 思ったことをみんな口に出して良いことなんて全然無い。「東くんの大谷さんになりたいの」イチゴオレで飲み込んだ。








東の説明文にびびった記念