私が死に始めた日




 逃げ場所と名付けることは見当違いかもしれないけれど、木野秋は大谷つくしにとってそういうヒトだった。わたしが自分は男の子を好きになれないと気付いたのは高校一年のとき。今までうっすらと抱いていた秋ちゃんに対する憧れと怖れが何であったのかを理解したのは、わたしたちが知り合って三年経ってからだった。
 クラスメイトとして仲良くしていた中学を卒業してからも、わたしたちの繋がりは細くか弱く続いていた。月数回の携帯メールを怠ってしまえば、たちまち綻びてしまうのではないかという不安定さ。賭けのような掛けのようなねがいを込めて送信ボタンを押すと、当たり障りのない手紙が送られる。丁寧な彼女の返信が届くとまず保護をかける。次に秋ちゃんの柔らかそうな頬が笑うところを思い出す。

 秋ちゃんは想像も出来ないでしょう。たったこれだけのことがどんなに嬉しいか。どんなに怖いか。彼女を想うことがわたしにはどれだけ幸せで恥ずかしいことか。秋ちゃんはわたしにそんなことなど思えないでしょう。
 何年過ごしても何度会ってもどんな言葉を交わしても、わたしの未来に秋ちゃんの寄り添ってくれるみちは無い。逃げ場所と名付けるのは適当でないかもしれない。秋ちゃんはわたしと恋をしない、それが苦しくて苦しくて帰る場所がそれでも秋ちゃんなのだ。彼女の優しさを求めてしまう。だけど、秋ちゃん忙しいもんね、と綴るわたしのメールはつまり会わない約束を含んでいる。逃げてきたのにまた逃げる、わたしは、

 わたしは秋ちゃんが好きだと確かに言える。大好きだと心は叫ぶ。
 秋ちゃんと話すときの安らぎ、友人ではなかったときに感じた憧れ、わたしの中学生活の様々なところに散らばる彼女の姿。思い出の美化かもしれない。だけどわたしの好きになったヒトは誰も昔の秋ちゃんには適わない。男の子を好きになれないんじゃなくて、もう秋ちゃん以外を好きになれないのかもしれない。


 最後に会った門出の日、泣き腫らした目が笑った。ずっとトモダチでいてね。チープなセリフでも秋ちゃんが言うと本当にそうなるような気がした。あのときわたしが流した涙の意味、それが解った今、もうわたしはあの頃と同じように彼女には会えない。









title:花眠