不器用に幼かった僕らだけど




「マサキって呼ばせて」

 青く燃える瞳に覗かれている。視線の光も声の輝きも、先輩の全ては美しい。
 これまで互いに閉ざしていた心は、開かれた途端惹かれ合い、とうとうオレは彼の元を逃れることができなくなってしまった。その引力でリンゴどころか月まで落としてしまいそう。

「いいですよ。じゃあオレはあ…」
「変なあだな付けないでくれよ」

 じっと睨むとこっちがいつも負ける。この人の瞳は反則レベルに強く眩い。

「蘭丸ちゃん…ごめんごめんなさい…蘭丸…さん?」

 思わず上目遣いをすると、先輩に頭をそっと撫でられる。獣の背中に触れるような、毛並みを崩さない撫で方をする。それがとても好き。
 中学一年、季節の変わり目、オレは先輩にこの世の全てを見つけた。

+

「適当に上がれよ」
「お邪魔します」
 四年ぶりの霧野先輩もとい蘭丸さんは完成された芸術品だった。往来で寸止めの絶叫を零してしまう程その再会には感激した。切られた髪や尖った顎を見ていると、否応なしに時間の経過を知らしめられる。少年時代の中性的な偶像は面影をそこそこしか残さなかった。神様なんてフェアじゃねえや。奪われたものはもう写真くらいでしか拝むことが出来ない。
 狭い学生アパートからは甘ったるい石鹸の香りがした。彼の趣味かと思い期待したが(オレはまだ彼の少年らしさに夢を見ていた)、妄想を砕くように先輩は小さく笑った。
「この匂い?カノジョの石鹸だと思う、悪いな」
 凍った心臓を必死で鞭打つ。乾いた笑い声だけ受け渡す。このタイミングでピンヒールでも履いた女が現れようものなら、そいつをぶっ飛ばしていたかもしれない。

-

 五年前の青々しい頃、サッカー部の先輩だった蘭丸さんにファーストキスを奪われた。なにするんだと怒り狂い数日間口をきかなかったことを覚えている。その後久しぶりに交わした言葉があの人からの告白だったから。
 一年先に卒業するまで彼はオレを贔屓し続けた。陽向に引きずり出されたあとみたいに一新された五感の全て。狂ったようにすり寄っていた、あの人に嫌われないように。愛されたのはこっちが先だというのに、気が付けばあっちがすっかりイニシアチブを握っていた。キスの一つも王子のご機嫌次第だったのだ。

「初めて、こんなに大事にしてもらった、気がする」

 恥ずかしかったけど頑張って伝えた感謝に、先輩は嬉しそうに言った。

「マサキは良い子だな」

 子供扱いやめろ!なんて言ったものの、そんなセリフが死ぬ程嬉しかった。だからこの人が自分の全てだって思った。
 けれどそれは、中学までの茶番だった。

+

「麦茶しか無いな。冷たいの」
「なんでもいいですよ」

 おとなしい会話が続いた。又聞きしているようなプロフィールばかりが明かされて少々飽きてきた頃、唐突に先輩が謝ってきた。へらっと笑った顔は初めて見た。好きだけど、嫌いだ。

「中学以来音沙汰なくてごめんな、マサキ」

 唐突に呼ばれた名前にリアクションもろくに取れず、どころか純真無垢なあの頃の姿がハレーションを起こしてフラッシュバック、鈍器で殴られたように頭には星みたいなのが飛び交っていた。

-

 中学二年の終わり頃、今思えば馬鹿馬鹿しいくらい一日中携帯電話を握り締めていた。だって返信が来ないのだ。先輩の卒業式当日の夜に送ったメール、来ない返信を催促するメール、安否確認、思いやり、大好き、不安、その他。エラーメールの帰って来ないことが尚更恐ろしかった。
 先輩の家に何度か行こうかなとも思ったけれど、部活や受験勉強が忙しく、できなかった……というのは言い訳で、拒絶されるのが怖くて、動けなかった、だけ。
 バカみたい。何が自分の全てだこの世の全てだ、嫌われてんじゃん。
 だったらあんな贋作みたいな付き合い無かったことにしよう…としたけれど、それでも忘れられなかった。あんなに心を許しておいて、忘れることの方がおかしいのだ。
 だから先輩は、おかしくなっちゃっただけなんだ。

+

「もう一回好きになってくれないか」

 こっちが何も言えないことを悟ってか、笑ったままの顔で口を開いた。青い瞳に穿たれてたじろぐ。
 今更好きも嫌いもねぇよ先輩、言いかけた唇が息だけ吐いて終わる。これはきっと気持ちだけの問題じゃない。服従、ギブアンドテイク、ご褒美。数年前から変わらない気持ちをいくらこっちがもっていようと、同じものなんて貰えない。一番最初の不器用なキスだとか、震えながら繋いだ手の幼さは、もうこれから先無いものだ。

「マサキ、おいで」

 不器用で、幼かった。あの頃が一番幸せだった。だからといってこの人の腕にこのまま抱かれることでそれを取り戻せるわけでは決して無い。でも、もしかすると、決して無いことが起こるかもしれない。本当に本当に大好きだから。時間がいくら経っても忘れられなかったのだから。

「…はい」

 蘭丸さんの胸に頭を押し付ける。しがみつくみたいに腕を回す。麦茶の氷がコロンと鳴ったのを合図に、蘭丸さんの迷いない唇を受け止めた。
 男なら二股にならないだろ、マサキは素直で玩具になるだろう、こいつずっと求めてたんだろ。先輩はそんなことをきっと考えているかもしれない。それとも同じように昔から待っていてくれたかもしれない。だけどどうせ教えてくれないことなんて考えたって意味無いよ。
 もし何もかもが茶番だったとしても、ずっと一緒に居(させてくれ)ればあの頃みたいな無邪気さはきっと帰ってくると信じている、信じないといけないから、結局従順に愛されている他道は無い。







web企画摘心さまに提出しました