愛を痴れ
探偵社の扉を開くと中からイテッという声が聞こえた。確かにぶつかった感触がした。何事かと思って中を覗き込むと、扉のノブと自分の首に麻紐を括り付けようとしている太宰さんが居た。 「な、何をしているんですか」 「厭ね、ドアノブを使った簡単な自殺方法があると聞いたので今日はそれを試してみようかと思ったンだよ」 ふぅ。思わず溜息が漏れる。よくもまあこの人は飽きもせず自殺未遂を繰り返す事が出来るモンだ。近場の机から鋏を取り、麻紐を切った。 「あっちょっと敦君なんてことするんだい!」 「こんな処で死なれたら皆が迷惑するじゃないですか。人に迷惑を掛けない自殺が信条なんですよね?」 「むぅ・・・言うようになったじゃない」 ん、と太宰さんが自分の首を指した。首吊り紐だったものを切ってあげる。首筋に鋏を近付けた時に太宰さんがニヤと笑ったけれど、見なかったことにしてドアノブの紐も取る。屑籠に捨てた。 この人の自殺嗜癖にも漸く慣れてきた。慣れてしまって良いものではないけれど、初めて川辺で会った時のように動揺する事は無くなった。只、探偵社の皆さんが、太宰さんを助ける役目を暗黙の裡に僕に任せている事に気付いてしまってからはなんとなく複雑な気分だった。 やれやれ。太宰さんは伸びをしながら事務所の奥へすたすたと行く。僕は先日与えてもらった自分の席に腰かけた。 (太宰さんが本当に死んでしまったらどうしよう)・・・なんて考える事も最近は減ってしまった。しかし死なれては困ると思う気持ちに変わりは無いし、ここで働く人全員がそう思ってくれている筈なのに、太宰さんはどうしてこんなに死にたがってしまうのかな。 散らかる思考は突如追いやられる。 「あ〜つしくん」 顔をあげると自分と僕の湯飲みにお茶を淹れた太宰さんが、僕を見てにこりと笑っていた。 「お茶だよ。今日も君には迷惑を掛けたねえ」 「・・・分かっているのなら自殺未遂何て止めてくださいよ・・・ありがとう、ございます」 暫くは二人して黙って座り、熱い熱いお茶を啜っていた。思い立って太宰さんに出会って以来の疑問を、ぶつけてみることにする。 「太宰さんはどうして自殺しようとするんですか」 「んー?そうだなあ、うーん・・・どうしようかなあ」 「明らかに誤魔化そうとしないでくださいっ!」 呆れる僕にへらへらといつもの調子で太宰さんは笑った。かと思うと急に静かな顔で、私の能力『人間失格』ではね、と呟いた。 「他人の能力を無効化できても、実体を消せる訳では無いし、まして私自身を消す事も出来ない」 「・・・はい」 「だから死ぬのは自分でやるしか無いんだよ」 湯飲みを空にしてふぅー・・・と深い息を吐くと、太宰さんはやおら立ち上がり手を差し出す。洗うよ?と。いえ、僕がやります。と返すと、そう?悪いね。と湯飲みを渡された。 「じゃあ誰かに殺されそうになったら、貴方は自分の身を守るために相手を躊躇いなく殺すンですか」 「・・・厭だな敦君、ここは探偵社であって殺し屋事務所じゃないんだから。それに言ったでしょ、苦しいのはイヤだって」 「本当ですか」 「本当だよ。あ、でもね、さっきの話はね、でっち上げ」 ん?さらりと言った台詞を反芻してみる。加えてさっきの会話を脳内で繰り返す。 「え、何じゃあちょっとしんみりとしてしまったあの空気は」 「敦君は優しいから、何しても付き合ってくれるのだもの」 やっぱり死んじまえあんたなんか!・・・などという暴言は、僕の生活の恩人でもある太宰さんに言うわけにはいかないので・・・僕は悔しさに拳を握りしめることしかできなかった! 「ふん、もう太宰さんが苦しい自殺から逃げようとしても助けてあげませんからね」 「そんなにむきにならないでくれよ敦君」 「むきになってませんー」 湯飲みを洗う僕の背後でぶう垂れる太宰さんは、大人なのにへらへらしてるしたまに子供みたいだし、何より暇さえあれば自殺しようとする手が掛かる人だけど、僕はね、太宰さんが死んだら、 「貴方が死んでしまったら、僕が迷惑するンですよ。だから死んじゃ駄目なんです」 「はあ、それはまたどうしてだい」 「当たり前の事じゃあないですか。だからわざわざ口に出したりはしません」 太宰さんが死んだら哀しいんですよ、分かるのかな。また飄々とした顔で笑うから、何を考えているのか僕こそ分からないけれど、まあ貴方が生きているうちはもうなんだっていいや。 「そんなに言うのならさあ、じゃあ敦君が僕と心中してくれよ」 「どうしてそうなるんですか。というか美女と以外心中したくないんじゃなかったですか」 ああもうそんな顔で笑わないでくださいったら。太宰さんの唇が次に紡ぐ言葉次第では、 「敦君なら、いいよ」 冗談だろうが本気だろうが僕はね、僕は本当に貴方と死んじゃいたくなるではないですか! title:落日 |